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「長年の盟友に敬意」=カルドーゾ前大統領も弔問=サンパウロ州議会

4月28日(木)

 「とてもサウダーデを感じている。彼は本当の友人であると同時に、長年の盟友として敬意を捧げたい」
 二十七日午後一時半、PSDB創立者の一人である小林下議の遺体の置かれた州議会を訪れたフェルナンド・エンリッキ・カルドーゾ前大統領は、弟小林セルジオさんに対し、そう追悼のメッセージを語った。
 州議会議場入り口にはたくさんの花輪が飾られ、大サロン中央に安置された棺には、弔問客が引きも切らず訪れた。棺の横には焼香台も設けられ、セルジオさん、イエ・ケンギ・コー未亡人、実子のヴィットルさんら親族が控えていた。
 同日午前九時に一番目乗りしたのはアウキミンサンパウロ州知事で、その後、州議会のロドリゴ・ガルシア議長、ジョゼ・セーラサンパウロ市長、フラウジオ・レンボ副知事らも相次いで訪れた。九八年の移民九十周年時に日本移民をテーマにパレードしたサンバ学校、VAI・VAIのプッシャドールであるトビアスも姿を見せ、交友の幅の広さを感じさせた。
 同日午後二時までに少なくとも千五百人以上の弔問者があった。
 小林下議と共に約十年働く上地ゼットゥーリオ補佐官は、「月曜日朝十時ごろ、ドトールが酸欠状態を訴えたので医者へ行った。その場で検査をし、夕方には入院を指示された。火曜朝、さらに呼吸に困難になっていたので救急治療室に入った。麻酔して眠るか、呼吸補助装置を付けるかと医者に選択を迫られ、本人が麻酔を選んだ。そして夜七時四十分に亡くなった」と様子を説明した。
 〇四年二月二日に肺がんが判明して以来、十四カ月間治療に専念してきた。それが肝臓などにも転移していた。直接の死因は、呼吸不全だった。
 「二十八日に別の検査をし、その結果次第で、ルーラ大統領と共に訪日する望みを最後までもっていました」と上地補佐官は代弁する。「最後まで、今こそ百周年のことを手助けしなきゃ、とっても心配だ、と何回も言っていました」。
 リベルダーデ文化福祉協会の池崎博文会長は、「体を悪くしてからも顔を出しなど、いつも東洋人街のために尽くしてくれた。コロニアにとって本当に大事な人を亡くし、とても残念だ」と語った。
 伊波興祐・元連邦下議は、「いい友達だった。州議会、連邦議会で共に活動した。悲しくて胸が痛い」と述べた。