4月23日(土)
去る三月二日、フィリピン群島のほぼ中央部に浮かぶネグロス島でグロリア・マカパガル・アロヨ大統領の臨席を得て、シルク展示室と織物センターの完成式が行われた。この「養蚕プロジェクト」事業推進にNGOオイスカの全面的な協力があり、ブラジルで製造された機械が一部導入された。
ネグロス島は国民の間で〃砂糖の島〃と呼ばれてきた。が、一九八〇年代に砂糖の国際価格が下落、島民の生活を守るための代替産業が模索されてきた。この島で八一年に研修センターを作り、農業後継者を育てながら、幼児教育にも携わってきた、NGO・オイスカの国際協力技術員の一人である渡辺重美さん(東京農大卒、岐阜県出身)が、島民を困窮から救う選択肢の一つとして養蚕に着目し、日本から技術者を受け入れる一方で、日本に研修生を派遣した。
試行錯誤を繰り返しながら、九五年に養蚕プロジェクトを本格化させることに成功した。日本で研修を終えて島に戻ってきた若者たちがプロジェクトに加わった。
試行錯誤の時から側面から支援してくれた宮澤津多登・全国蚕種協会相談役の「ブラジルで養蚕事業が成功している。見る価値があるよ」という助言を受けて、二〇〇三年二月、渡辺さんは宮澤相談役とオイスカ本部(東京)の萬代保男部長と三人で初めてブラジルを訪問し、サンパウロ州バストスにあるブラタク製糸会社(アントニオ・タカオ・アマノ社長)の工場や近郊の養蚕農家などを視察した(本紙・〇三年二月八日報道)。案内したのは谷口滋副社長だ。「目からうろこが落ちる、とはこのことか。教訓の多い視察ができた」という。
ブラタク製糸は六十五年の歴史を持ち、年間六千五百トンほどの生繭を生産している日系企業だ。視察の中で渡辺さんは『毛羽取り機』に注目した。上質の生糸を生産するためには欠かせない機械ながら、フィリピンでは生産されていない。すぐに、ブラタク社を通してこの機械を発注し、オイスカ・ブラジル総局にフィリピンへの空輸を依頼した。「この機械が今でもたいへん役立っています」と四月六日に渡辺さんが電子メールで伝えてきた。
プロジェクトが始まって十年目の今年、百戸の養蚕農家が五十トンの生繭生産を目指している。製品はフィリピンでの正装と言われているバロンタガロクの生地として使われるようだ。
ネグロス島における砂糖キビ(カンナ)の主要代替農産物の一つとして、州政府と島民の関心も高まりつつあり、ブラタク製糸(株)の生産量には遠く及ばないものの「養蚕農家が増えているので、生産量を百トン、二百トン、五百トン、に徐々に増やして島民の生活向上に寄与していきたい。今回、大統領が織物センター完成式に出席したことで、養蚕と生糸に対するフィリピン国民の注目が集まっている。二年前にブラタク社の厚意で成功例を見る機会を得たことが大きな活力になった」と渡辺重美さんは述懐している。
ブラタク製糸の谷口滋副社長は「今回の朗報は非常に嬉しい。おめでとう、と申し上げたい。ご要望があれば、今後もできるかぎりのお手伝いをしたいです」と喜びを表明している。南米とアジアを結ぶ、一種の南南協力の結実だ。