4月15日(金)
日本ブラジル交流協会(山内淳会長)は今年二十五周年を迎えたことを記念して、大学生を中心に過去最多の四十八人を日本から受け入れた。十二日晩、文協貴賓室で歓迎セレモニーが行われ、緊張気味の表情をした若者たちが一人一人紹介された。昨年の三十三人に比べると七割増しだ。
山内会長は最初に「早く日本での生活を忘れ、ブラジルのそれを新しい事実として受け入れてほしい」との言葉を贈った。
来賓の杉本麗名(りな)副領事は、外務省などの政府機関にも多くの協会生OBがおり、「働きながら語学を学べる素晴らしい制度。日伯の架け橋となってほしい」と賞賛した。
引き受け人を代表して、高野書店の高野泰久店主は「みなさんの大半が生まれる前から、この協会に関わってきた。それを思うと感慨深いものがある」と前置きながら、「この一年間、協会との約束をしっかり守ることが、楽しい生活につながる」と語った。
二十五期研修生を代表し、神奈川県出身の平本明日美さん(22、二宮正人弁護士事務所)は「今回は類を見ない大所帯となった。事前研修ではお互いに刺激しあってきた。これからの研修にも強い意気込みと固い決意を持っている」と宣誓した。
十日に着伯したばかりの四十八人は、昨年七月から毎月課題をこなし、三回の合宿を行ってきた。ブラジル関係書籍など五十冊を読破して感想文を書き、百キロを一日で歩き通す〃試練〃も乗り越えた。
研修生の一人、五千円札紙幣の肖像画でも有名な新渡戸稲造氏の子孫である新渡戸樹里さん(29、国際交流基金派遣)は、「ブラジル人でもある自分を見つめ直したい」と今回の研修に参加した理由を語った。親の仕事の関係でサンパウロ市に生まれ、四歳から兵庫県神戸市で育った新渡戸さんは二重国籍だ。
大学を出てから六年間務めていた会社を辞め、たまたま母校に遊びにいき、交流協会の募集ポスターを見て、「これは行かなきゃ」と閃(ひらめ)いたそう。
インベストゥール旅行社で研修する三橋香月さん(22、東京都)は、ソロカバ市の高校で留学経験がある。「ブラジルが好きになったので、もう一度来たかった」。その後、日本の人がブラジルのことを余りにも知らないために、その魅力を伝える何かをしたいと考えていた。「期間中にサンパウロ市の文化施設ガイドブックを作りたい」と抱負を語った。
〇二年のW杯の時、群馬県大泉町で見たブラジル人のするサッカー応援が「無駄やムリがなく実に楽しそう」と感じ入り、応募を決意した齊藤考作さん(25、鹿児島県)。マナウス市のサンヨーで研修。大学の授業で、サンパウロ市在住のビデオジャーナリスト岡村淳さん作品を見たことでさらに関心が高まり、「大きな原因になった」という。
十三日に受け入れ企業に引き取られ、期待と不安を胸に、十一カ月の研修へ一歩を踏み出した。