「死語」という言葉がある。使わなくなる、使われない、使っても理解してくれる人がいない、そんな日本語である。日本の新聞や雑誌に取り上げられる、半ば死にかかっている言葉に、おひつ、灰汁(あく)、縁側、ちゃぶ台、もんぺ、蠅取り紙、蚊帳(かや)などがあげられていた▼焼き肉店に行ったら、若い店員が「ごはんは皿で」と言うので、「ごはんはおひつでないの?」と尋ねても通じない、また、縁側はかつて隣近所同士の社交場であった、マンション住まいでは望むべくもない、と書いていた▼コロニアの日本語には「死語」はないだろうか、ちょっと考えてみた。無くはならないが、減ったと思われるものに「おじさん」「おばさん」がある。新来の日本人が、自分より、明らかに年上の人(二世、三世)から、そう言われて「ぎょっと」した話を何回となくきいた▼親しみをこめて言ったというより、教えた人たちも適当な言葉を知らなくて、困り抜いた末、無難だとばかり、〃採用〃したのではなかろうか。もう一つは、地方方言、訛りである。移民は、北海道と東北の福島県を除けば、西日本出身者が多い。子孫も多い。二世、三世は、家庭で耳で覚え、それを使っているのである。聴いた側は親の出身地がわかる、とよく言ったものだ▼一世層のおじいさん、おばあさん層がいなくとなるとともに、コロニアで優勢だった西日本訛りは少しずつ消えていくだろう。同時に、それは日本語そのものが、先細りになることを意味する。(神)
05/4/13