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台湾コロニア=〃周縁〃から〃中心〃を目指して=連載(1)=「台湾人要出頭天」=─台湾人として胸を張る─

4月5日(火)

 東洋人街に今年二月初め、新たな顔が出現した。地下三階地上四階建ての近代的なビル、客家センター(=客家プラザ、総工費七百~八百万ドル)。台湾客家らが総力を結集して建築した、コロニアのシンボルといえるものだ。中国との特殊な関係から、国際的な孤立を余儀なくされている祖国、台湾。もちろん、ブラジルとも国交は無い。そんな厳しい国際環境の中で、母国の文化をいかに周知させようとしているのか。同センターが、オープンして約二カ月。移民史を交えながら、入居団体の関係者らに戦略などを聞いた。全三回。
  レプブリカ・ダ・シナ(Repbulica da China)と聞かれて、どこを指すのか正確に答えられるブラジル人はどれだけいるのだろうか? そんな素朴な疑問が、いつも頭に纏わりついている。 
 政府が広報活動の一環として、報道関係者を母国に招待。紙面で紹介してもらうことがあるとは言え、一般の知名度が高いとは思えない。「シナ」と一くくりにされている嫌いすらある。
 もっとも、中国の南東、日本の西南、フィリピンの北東に位置。さらに、オランダ、清、日本に支配され、アジアでも〃周辺〃とみられている。
 サツマイモの型をした島に外省人、福ロウ(注)人、客家、先住民が居住。ブラジルと同じく、移民社会を形成していると知ったらブラジル人は、驚くにちがいない。
 中国製品が、ブラジル経済界を圧迫する、と業界で懸念の声がある。とは言え、伯中関係はやはり、蜜月時代。
 「台湾から要人を招こうと思っても、ビザが出ない」と移住者は明かす。ブラジルで、政治的には肩身の狭い思いをしているというのだ。
 「対外的には台湾統独問題を論じる前に、国際社会に〃国〃の存在自体をアピールしたい」。それが、移住者の本音といったところだ。
     ◇
 「私たちは、平和を愛する国民です。母国の文化や歴史を皆さんに分かってもらいたい。その意味で、このセンターが完成した意味は大きい」。クルトゥーラ・タイペイ(駐聖保羅台北経濟文化辧事處・聖保羅文化中心)の柯慶榮主任は、夢を膨らませて言う。
 二、三階のスペースに大小の教室やサロン、展示室、図書室などを揃え、「書道や色紙などの講座のほか、無料診察も実施していきたい」と意欲をみなぎらせる。
 さらに、「子弟に移民史などを伝えるため、移住者に苦労話などを綴ってもらい、その作品を常設展示していきたい」と語り、構想がどんどん生まれてきているようだ。
 四百~五百人収容可能なサロンは一般に、三時間百五十レアルで貸し出している。
 同辧事處は七〇年代後半に、設立されたもの。中華民国(台湾)は戦後、国連の加盟国だった。米中が七〇年代に、接近。台湾は七一年末に、国連を脱退せざる得なくなる。そのため、各国での窓口機関として同事務所が設置された。簡単に言えば、領事館の役割を果たしている。
 クルトゥーラ・タイペイは、その中で文化普及に特化した部署だ。国際交流基金のようなものなのだろうか。
 柯主任によると、子弟を含めて台湾系移住者はブラジルに十万人いる。そのうち、八万人がサンパウロ市に居住。中でもリベルダーデ区周辺の人口が最多で、文化発信の拠点と考えている。客家系の会館建設案に乗っかる形になった。
 「一つの団体だけでやるよりも、多くの力を会わせればもっと大きな事が達成できると思います。それに、賑やかです」。
 注 ロウは人偏に老です。
(つづく、古杉征己記者)