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ブエノスからの「放蕩」によると―1話=密室の「トルトーニ」

グルメクラブ

3月18日(金)

 ブエノスアイレスへ旅行した。目的は仕事だった。
 が、空港についた瞬間から、使命を忘れた。以来三日間の滞在中、タンゴとワインのことばかり考えていた。荷物を取り上げると、観光案内所に駆け込んだ。タンゴを鑑賞できる場所(タンゲイラ)を知りたかった。ワインショップはどこにあるかとも尋ねた。
 もらったタンゲイラ・リストをみて感心した。市内十六カ所の情報が記されている。観光局公認の店に限定されている割には、多いと言える。本場にやってきたと実感する。バー、カフェ、クラブ、キャバレー、ホテルと、会場の選択肢は広い。料金も五~百五十ペソ(一ペソ=約一レアル)まで確認できる。リオデジャネイロのことを思った。サンバでこのバリエーションをそろえるのは難しいだろう。
 初日はあいにく、日曜日だった。休業が多い。きょうは無理かな。失望しながら、リストを眺めた。――あった。「毎日20時30分からタンゴショー」。幸運にも、「カフェ・トルトーニ」だった。
 一八五八年創業、現存するブエノス最古のカフェだ。一八五八年といえば、日本では安政の大獄が起きた年だ。大老井伊直弼が京都の一橋派と尊皇攘夷派を一掃するための弾圧を開始した。日米修好通商条約が結ばれた年でもある。
 わたしは、古格に弱い。世界史に名を残すような文化人が愛用していた、あるいは通っていたなどの宣伝にも心ひかれるタイプだ。
 欧州の老舗カフェの惹句にはひとつのパターンがある。有名人の常連客を挙げる手法だ。パリの「ドーム」、「セレクト」ではモディリアーニ、ヘミングウェイ、サティ、藤田嗣治らが芸術談義に花を咲かせていました。ヴェネツィアの「フローリアン」にはカサノバやゲーテが通っていました。ウィーンの「ランツマン」ではフロイトが、カフェを片手に思索にふけっていました……と。その線でいけば、「トルトーニ」の歴史を代表する文化人はホルヘ・ルイス・ボルヘスだろう。
 玄関の前に立ってみて、ふと気になった。白いレースのカーテンで外界の風景をさえぎっている。大通りに面しているが、テラス席はない(過去にはあったようだ)。私見だが、その理由は密室の知的サロンを演出するためではないか。
 扉を開け、中に足を踏み入れた。煩瑣な俗世がすぅーと遠ざかる気がした。天井を支える重厚な緋色の柱、革張りの椅子、大理石のテーブル、瀟洒なシャンデリアなどが目に入る。つかの間、インテリ・貴族を気取る観光客で溢れていた。店内奥にタンゴショーの劇場があった。ビリヤード台が置かれた小部屋や、昔日を伝える資料展示もあった。
 リオとの比較ばかりになるが、ゴンサウヴェス・ディアス街に一八九四年から続くコンフェイタリア「コロンボ」を思い出した。創業時の顧客にはシッキニャ・ゴンザガがいた。後年はアカデミア・ブラジレイラ・デ・レトラスの会合がしばし開かれた。ゼツーリオ・バルガス、ジュッセリノ・クビチェッキといったときの大統領も顔を見せた。一九二〇年にはベルギー国王が、一九六八年にはエリザベス女王が訪れている。
 ただ、その建築様式は「トルトーニ」と対照を成す。西欧のベル・エポック趣味を、ブラジル的に翻案したスタイルがまばゆい。例えば、壁を飾るベルギー製の大ガラスを見る。木の葉や花が彫られた額縁は、ジャガランダーの木を使用している。壮麗なインテリアではあるが、常に扉は開放され、どことなく肩の力が抜けている。
 「コロンボ」の魅力は土曜日のフェイジョアーダ。ショーロの生演奏を聞きながら、食べる。「トルトーニ」では毎晩タンゴとワインの饗宴。どちらも、南米文化の妙趣と粋の結晶だ。

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