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ブエノスからの「放蕩」によると―2話=締めはシャンパン?

グルメクラブ

3月18日(金)

 ブエノスで一番心に残った風景は? そう聞かれたら、「空港から市内へ向かう途中、車窓から眺めた景色」と答える。
 緯度の関係上、植生はヨーロッパのそれを思わせた。秋の澄んだ風が心地よい。薄雲のほの明るい空は紺碧だった。市街地に続く高速道路は渋滞もなく、報道陣を乗せた旧型のミニバンは快調に飛ばした。道路の両側にはよく手入れされた芝生が広がっていた。木陰に車が止まっている。続いて、別の木陰にもう一台。離れた木陰にさらに一台と、数キロにわたって同じような光景が繰り返し展開された。何をしているのだろう。最近は動体視力も鈍るばかりだと痛感しつつ、じっと凝視した。
 男性は上半身裸で新聞を読んだりしてくつろぐ。女性は水着姿で子供や犬と遊んでいる。折り畳式の簡易テーブルの上にはワインやビール、マテ茶(シマロン)の容器、果物などが乗っている。バーベキュー(アサード)の煙はまっすぐ上空を目指し、清澄な空気にまぎれて消える――。そうか、ピクニックだな。
 野外でのアサードとシマロンといえば、アルゼンチン文化の基調であるとは承知していた。けれど、田舎の農場(エスタンシア)で盛んなものだと考えていた。高速道路のそばで、とは思いもよらなかった。ありふれた木陰で、ピクニックをさりげなく楽しむ彼らの洒脱なライフスタイルに感動し軽い嫉妬を覚えた。車が往来する道路の脇というちょっとしたスペースにも広い芝生を整備し、きっちり植樹も忘れない、アルゼンチンの文化力の底力を見せつけられた気がした。
 旅装を解き、日曜日の蚤の市で知られるサンテルモ地区を散歩した。軒を連ねるアンティークショップをぶらぶら眺め、路上のタンゴショーを見物しつつ、「レトロなムード」「ボヘミアンな雰囲気」と、日本の雑誌にあった街路を抜ける。「パリの老舗カフェのような落ち着いた佇まい」と紹介されていた同区のレストラン「レサマ」で、名物エンパナーダとマタンブレ(野菜やハムなどを巻いた牛肉ロール)を食べたかったが、踵を返した。集合時間が迫っていた。
 夜、観光バスは報道陣をコルドバ通りのレストラン「ラ・チャクラ」に連れて行った。古風な造りのステーキハウスだった。壁には鹿の頭の剥製なんかが飾ってある。典型的なアルゼンチン風肉料理の店らしい。個人的にはウォーターフロント、プエルトマデロ地区のステーキハウスの方に興味があった。無論馳走される身分であり、贅沢なことはいえなかった。
 注文で問題が生じた。スペイン語が分からない。数ある牛肉の部位のうちどれを頼んでいいか分からない。ポルトガル語はある程度通じたが、ブラジル人好みのピカーニャはアルゼンチンにはない。腹がいっせいに鳴る。その音で机上のグラスが揺れる。夕食会の主催者側が提案した。「骨付きか、骨なしのどちらかで注文したらどうでしょう」。二者択一方式には、給仕も剥目した。自由よりも規律を重んじる日本人らしさを見せつけた。
 肉が焼き上がるまでの間、隣に座った現地コーディネーターの人から、部位について学んだ。ビュッフェ・デ・チョリッソはロースステーキ、ビュッフェ・デ・ロモはヒレステーキ、アサード・デ・ティラはスペアリブにあたる。して、われわれはチョリッソ(骨なし)か、ティラ(骨付き)のいずれかを頼んだことになる。
 ブーツの厚底のような、網焼きステーキが来た。四百グラム以上はあったかと思う。脂肪分は少ないが、柔らかい。付合せの薬味はチミチュリ(香草ソース)といった。デザートはドン・ペドロをとった。ウイスキー入りのアイスクリームだ。カフェも飲んで満腹というときに、シャンパングラスが配られた。反応は歓声と苦笑いが半々だった。もう満腹だよ。
 どうして食後にシャンパンが供されるの? さきの現地コーディネーターは説明した。「ブエノスでは、よくお金を使ってくれたお客にシャンパンをサービスするのです」。素敵な慣習だが、炭酸系の酒は胃袋が膨れるからキツイよねー。といいつつ、それぞれグラスを空けた。二杯、三杯とつがれた。初日の泡立つような夜はそうしてふけた。

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