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コラム 樹海

 焼夷弾の怖さ―。飛行機から投下して住宅などを焼き払う武器であり、その威力の凄まじさは昭和20年3月10日の東京大空襲でよく知られている。焼夷弾の「夷」は、皆殺しの意味だと記している辞書もあるが、木材と紙で建築されている日本を攻めるには最も効果的な兵器と言える。太平洋のマリアナ諸島を飛び立った米軍のB29爆撃機は三百二十五機▼約三十六万発の焼夷弾が投じられ十万人を超す市民が死亡。約二十七万の家々が燃え立ち瞬く間に消えていった。当時の空襲を体験した人々の証言によると、あの隅田川までもが「燃えた」し、もう逃げるところがなかったという。道路には焼死体が積み重なり、見るに忍びなかったと苦しい胸の内を語る都民も多い。10日付けの本紙に東京大空襲を逃れ生き延びた人が証言しているけれども、あの苦しみは体験した者でないと、人に話すことは難しい▼大阪や名古屋にも大規模な空襲があったし、東北の宮城県仙台市も焼け野原になる。筆者は国民学校一年生だったが、約80キロも離れた山深い村の寺から仙台の空が真っ赤に燃え上がるのを今もはっきりと覚えている。やはり―米軍が投下したのは焼夷弾だと知るのは後になってからだが、あの威力にはただ驚くしかない▼広島や長崎への原爆は今も語り継がれるけれども、東京の大空襲はもっと話され若い人々にも伝えてゆくべきは言うを待たない。こうした無差別爆撃による犠牲者は全国で五十万人は超える。あの戦争の苦しみはきちんと子孫に伝え語り継ぐべきは、人としての義務でもあるのだから―。   (遯)

05/3/12