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「話題エスタドォン」=新聞売りの少年とアマラル

グルメクラブ

3月4日(金)

 「タルデ、エスタドォン……」。朝、夏の木漏れ日が照らす、サン・ルイス通りで新聞を売る少年がいる。ヨコ縞模様の長袖シャツ、頭には小さなつばの付いた帽子を被っている。両肩に掛けたバンドで支えた新聞の束を見ると、まだ仕事始めらしいーー。
 一九六〇年代のサンパウロを舞台にした映画を製作するなら、さりげなく挿入してみたい場面だ。ジャン・リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれ」(一九五九)が頭にある。短く刈った髪の毛、ワンサイズ小さなTシャツが印象的なヒロイン、パトリシアがパリのシャンゼリーゼ通りでニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙を売っている、あのワンシーンだ。
 戦後移住してきた知り合いの画家は当時のサン・ルイス通りを懐かしんで、「まだ実際のパリを見たことはなかったけど、そこにいるような空気があった」といつか語っていた。その通りと交わるマルチンス・フォンテス街には、アラン・ドロン、ソフィア・ローレンなど往年の映画スターらを迎え入れたホテル・ジャラグアーが営業していた。ホテルと同じ建物にはエスタドォン、タルデ両紙の編集部があった。と思いを巡らせていたとき、だ。「勝手にしやがれ」の一コマをなぞってみたい気持ちに駆られたのは。
 現代のサンパウロを写し撮る映画では、新聞売りの少年を登場させるのは難しい。リオデジャネイロの旧市街で何度か見かけたこともあるが、七年前から暮らすサンパウロではついぞ出会ったことがない。しかし、冒頭の少年だけは「実在」している。サン・ルイス通りが七月九日橋と名前を変える地点、つまりかつてエスタード・グループの編集部があったビルの横に建つ、ランショネッテ「エスタドォン」の看板の中で永遠の新聞売りの少年として「生きている」。
 一九六八年創業、豚の太モモ肉(ペルニル)のサンドイッチで知られる。昔ほど通わなくなったが、週二回ほど夜食として、そこでペルニルを食べていたことがある。なぜそのような状況にあったかというと、よく歩いていたせいだ。一九九八年の秋、一ドルが一レアルだった時期に来伯したわたしは、日本から持ってきたなけなしの円がはや尽き果て、まず交通費から切り詰めようと企てた。夜はヴィラ・マダレーナやピニェイロス界隈にいることが多かったが、自宅のあるリベルダーデまで二時間以上かけてぶらぶら歩いたものだった。膂力に満ちた二十代前半の脚は疲れ知らずで、夜の果てまで歩き通せる気がした。
 ランショネッテに入る前には必ず、くだんの隣のビルに立ち寄った。元エスタドォンのあった場所だが、ジアーリオ・ポプラール(現ジアーリオ・サンパウロ)が取って代わっていた。わたしも新聞記者の端くれだ。ビルの通用口に張り出された、刷り立てのジアーリオを熱心に眺めた。一読すると、タバコに火をつけ、もう一度芸能欄だけをじっくり読み返した。
 「エスタドォン」の午前零時は、目元に疲れがひとハケ刷かれた若者中心の深夜族でごった返していた。午前三時も過ぎると客層は劇的に違ってくる。客はそれぞれの長くうつろな夜が明けるのを、退屈しのぎにビールを飲みながら待っていた。その一人がわたしであった。
 ガラスのショーケースの中には、ニンニク、タマネギ、オレガノ、トマトなどで漬け込まれて焼かれたペルニルが、十本はおさまっている光景が常に見られた。フランスパンにそれを挟んだサンドイッチより、ポテトサラダと一緒に盛り合わせた一皿をわたしは愛した。ペルニル深夜番のアマラルは往年の悪役黒人レスラー、ブッチャーのような風貌をしていた。彼はポテトサラダにフォークとナイフを突き刺して、ほらよと皿を渡してきた。そのサービスも記憶に深く刻まれている。
 ブラジル最古のビールメーカー、ボエミアが昨年、サンパウロ市でボテキン料理コンクールを主催した。ベロ・オリゾンテ市では同種のイベントが五年前から開かれているが、サンパウロでは初の試みだった。市内五百のボテキンの中から百六十軒をまずリストアップし、企画者が食べ歩いた。そして最終的に三十一軒の名物料理を絞り込んだ。十一月から十二月の期間中、客はそれぞれの店内に設けられた投票所で、三十一候補の中から最も好きなボテキン料理を選んで投票できた。
 三十一人を数えた選考審査員の採点と一般投票が集計され、最終結果が先月明らかになった。優勝したのはカンタレイラ街の市営市場で営業するバー「マネ」のモルタデラのサンドイッチ。「エスタドォン」のペルニルは次点だった。「マネ」のそれは三百グラム、総数にして約十一枚のモルタデラが詰まった品だ。確かに、十一枚のハムをぶちぶちと口中噛み切っていく瞬間の幸福感は格別だ。ただ、それは大手モルタデラ・メーカーのセラッチ社の既製品品で、特別な調理の必要はまったくない。コンクールでは、同社の社員が大挙スクラムを組んで投票したのではないか。
 なあ、アマラル。オマエもそう思うだろ。だから、フォークを凶器にして「マネ」を襲うような〃真似〃だけはくれぐれもよせよ。と近々わたしは彼を励ましに行くつもりだ。

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