3月4日(金)
「今回の五輪は君にとって必ず特別なものになる」
初挑戦だったアトランタでは四十七位、シドニーでは足の肉離れもあり辛うじて完走したものの七十二位、これまでに五つの大会で優勝経験があるとはいえ、自己最高は東京国際マラソンで記録した二時間八分三十一秒――。傑出した成績とは言いがたく、国内でも決して下馬評は高くなかったヴァンデルレイを影から支えつづけた男がいる。一九九二年から専属コーチとしてマンツーマンで指導に当たってきた専属コーチのリカルド・ダンジェロ氏(43)である。
九〇年に現在ヴェンデルレイが所属するチームである「ポン・デ・アスーカルBMF」に九一年、コーチとして加入したリカルド氏。当時、ヴァンデルレイには別のコーチがいたが、九二年にそのコーチが急死したこともあって、リカルド氏との二人三脚が始まった。
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九六年の東京国際マラソンでの初優勝に始まり、様々な大会で優勝を勝ち取り、国内有数のランナーに成長したのは緻密かつ精神的な指導に長けたリカルド氏の存在あってこそ。
「大会前リカルドは『今回の五輪は君にとって特別なものになるよ』って言ってくれたんだ。ずっと僕もそれを信じていた」とヴァンデルレイは噛み締めるように呟いた。
そしてアテネのレースは、リカルド氏が「予言」したかのような展開を見せる。
レース前日の八月二十九日、ブラジル五輪委員会公認のコーチでないため、選手村にさえ入れず、傍で指導に当たれないリカルド氏は一枚の紙にびっしりと殴り書きした手紙を関係者に託し、ヴァンデルレイにメッセージを送っている。
「ヴァンデルレイへ」との書き出して始まるその手紙――。コーチから選手へのものでなく、まさに親友が親友に当てたそれだった。
冒頭はレース展開やペース配分など六項目のアドバイスが含まれたこの手紙。
最後の項目には「もし調子がよければ、スパートするんだ。人生で挑戦しない人間は何も勝ち取れない」の力強い一言が記されていた。「挑戦するんだ」の下に引かれた二重線にヴァンデルレイに対する強い信頼感が込められていた。
実際、二十キロ地点で独走態勢に入ったリマも「レース中、常に手紙の言葉を頭にこびりついていたよ」と振り返る。
戦略だけでなく手紙は、最後はこう締めくくられている。
「残念ながら、僕はスターチ地点にいられないけど僕の精神と心は君と一緒にいる。そして、今まで話してきたように、必ずいい結果が出ると信じている。最後まで戦い抜くんだ。これは僕らが長年目指してきた夢なんだから。どうか幸運を。そしてゴールの後、君を見つけたら一緒にビールを飲もうぜ。OK?。友のリカルドから」
戦い抜くんだ――力強い二重線が引かれたリカルドからの言葉を体現するかのようにヴァンデルレイは、まさかのトラブルにも負けずに立ち上がった。
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<これでメダルはいけるはずだ>――。三十キロを過ぎてなお独走が続いたことにリマ自身手ごたえを感じていた。そこの思いがけない妨害。
「レースに集中していたし、まさかあんなことが起きるなんて夢にも思っていなかった。反応することなんて出来ないよ」
一旦は、路上に体を打ち付けられ八秒をロスしたが、リマは立ち上がった。
「最初、あの神父がナイフなどを持っているかもとおびえたが、お陰様で僕は無事だった。自分とリカルドが目指してきたメダルへの夢だけを支えに何とかあそこで立てたんだ。マラソンランナーって一度立ち止まると本来は動けないものなんだけど」
「戦いぬけ」というリカルドの言葉、そしてヴァンデルレイをゴールに向かわせたのはマラソンを始めるきっかけになったメダルへの飽くなき「渇望」だった。
(続く、下薗昌記記者)