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コラム 樹海

 戦前、成人して移民した人――少なくみても八十歳を越えている――は、故郷の(戦前の)親戚事情を知っている。あの人物は、どういう人間であったか、何を為遂げたか、などを子孫に説明することができる▼最近、そういう一人が〃最後の訪日〃をし、甥や姪に、父方、母方双方の先祖のことを話して聞かせ、大いに喜ばれ、面目を施したという話をきいた。日本滞在中、それがもっとも嬉しかったことの一つだったというから、さもありなんと思った▼甥や姪たちは、ブラジルからやって来た年寄りに、かつて聞かなかった、記録もされていなかった祖父母や曾祖父母に関する珍しいことがらを初めて耳にした。かれらにとって話は貴重な内容だった▼実は、その戦前移民は、ブラジルでも自宅で子や孫に祖先のことを話してきかせたことがあった。しかし、孫たちはもちろんのこと、息子、娘たちも興味を示さなかったという。ブラジルでは、風化していくものと思われる▼長生きはするものだ。語り継ぎたいと思っていたことが、思いもよらない日本でできたのである。ブラジルに渡った移民が〃語り部〃(かたりべ)になった▼歴史は、語り継がれなければならないといわれる。家族史もそうありたいが、語り継ぐべき子孫がまったく無関心であれば、途中で消えてしまう。移民のなかには、子が無く血統が途絶えてしまう人たちもいよう。それはいたしかたない。逆に大家族もいる。何代かあとの子孫が「知りたい」と熱望するかもしれない。(神)

05/2/18