2月16日(水)
法務省の統計によれば、「永住者」資格を取得するブラジル籍者が、次のように二〇〇〇年以来、毎年一万人増の勢いで増加している。
一九九六年十二月三十一日は、わずか九三一人だった。以下年末の数字。
▼九七年= 一六八六人
▼九八年= 二六四四人
▼九九年= 四五九二人
▼〇〇年= 九〇六二人
▼〇一年=二万〇二七七人
▼〇二年=三万一二〇三人
▼〇三年=四万一七七一人
今年中頃に発表される予定の〇四年末の数字は、五万人を超えるのは確実ではという声も聞かれる。
〇三年末現在、日本にいるブラジル籍者は約二七万四七〇〇人であり、五人に一人弱が永住者になってきた。ブラジル籍者の増加数よりも、永住者の増加率が上回っており、デカセギに質的な変化が現れているようだ。
サンパウロ総領事館の査証班、林英二領事は「定住化が進んでいるということだと思います。今後、もっと数字が増える可能性があります。ブラジルの景気や治安なども影響しているのではないでしょうか」と分析する。
「永住者」資格を持つと、選挙権以外は日本人とほぼ同等の権利が与えられ、一部金融機関から住宅融資が受けられるなどの特典がある。一年から三年ごとに延長手続きしなくてはならない「定住者」よりも身分が安定しているために、五年以上継続して日本に居住するデカセギは「永住者」を取得する人が増えているようだ。
文協から独立した、デカセギ支援のNPOボランティア団体「文化教育連帯協会」(=ISEC)の吉岡黎明会長は、「ブラジルの経済・治安問題が解決しないと、もっと日本への定住化傾向は高まる可能性がある。一度、日本の治安の良さを経験した人には、こちらで暮らすのは難しいようです」と語った。
ISECではデカセギ二十周年と文協五十周年を記念して、九月に日伯教育シンポジウムを開催する予定だ。その中で、デカセギ子弟の教育問題も扱うという。
国外就労者情報援護センターの田尻慶一専務理事も、「日本できちっと仕事ができている人ほど、帰ってくる気持ちがなくなるでしょう。特に子どものことを考えた時、定住化が進むのは分る気がします。ブラジルで生活が不安定だった人ほど、そう割り切っても不思議はありません」と共感する。
田尻専務理事は「それにしてもデカセギはたった二十年で、移民が百年かけてブラジルに渡ってきた数(二十五万人)を超えてしまった。なんとも複雑な思いです」と述べた。
記者の目=トータルな外交戦略を
最近、サンパウロ州の公立校で大学教授をしていた日系人が、デカセギにいったという。国外就労者情報援護センターの田尻慶一専務によれば「給料が安いから」というのがその理由。同センターのコラボラドール(協力者)をしていた人だった。
一大デカセギ・ブームを引き起こした九〇年の入管法改正から十五年経った。八五年にデカセギが開始されたとの説に従えば、今年で二十周年。区切りの年ではあるが、盛大に祝う性質のものでもなく、なんとも複雑な思いがする。
人なら成人する期間であり、その間に日伯双方でいろいろな社会条件も変わった。
日本では早くも、在日ブラジル人コミュニティの高齢化を心配する声が上がっている。ブラジルの邦人社会の平均年齢は七十歳を超えるという説もあり、いずれ日本もそうなるのかもしれない。
日伯間交流の基本であり、最も重要な手段はビザだ。なんとか、もっととり易くならないだろうか。例えば、日本で「永住者」資格をとるブラジル人が激増しているなら、どうしてブラジルで日本人がビザを取りやすくならないか。
日本の若者で、数年をブラジルで過ごしてみたい人、体験移住してみたい者は決して少なくない。しかし、現実にブラジルビザの壁は厚く、一年を超えるものは難しい。百周年を機に若者同士の交流の活性化をめざし、なんらかの便宜が図れないだろうか。
また、いろいろな疑問も湧いてくる。日系デカセギは将来、日本にどういう形で定着することが望まれるのか。国籍だけブラジルだが、外見中身ともまったく日本人となることが望ましいのか。それともブラジル人としてのアイデンティティを強化するのか。
その他、四世以降の在伯日系人は他外国人と同じ扱いでいいのか。例えば混血を重ねて生まれた三世(四分の一)と、純血の四世はどちらがより〃日系度〃が高いのか? 純血四世はどうしても無理なのか。
一方、経団連は外国人労働者導入を唱えており、入国管理局も入管法再改正を検討している。
若者の国際交流、在外日系人、在日日系人、外国人労働者などの人流を国家政策の中に位置付ける、トータルな外交戦略は生まれないものだろうか。 (深)