2月3日(木)
- バザーなどの行事や来賓が訪れた時に、裏方で料理の腕を振るう。日系団体の婦人部には、そういったステレオタイプなイメージがついてまわりそうだ。実際は演芸やカラオケ、スポーツなどを楽しむほか、旅行に出掛けるなど、結構活発に動いている。イビウーナ婦人会が創立五十周年記念誌(日毎叢書企画出版)を編纂中だ。日系移民史の表舞台にはあまり出て来なかった、女性たちの歩みが記されることになりそうだ。
- 「次の世代のために、半世紀の歴史をきちんと残しておきたい」。吉住しのぶ婦人会前会長(69、福岡県出身)と斉藤曙美元会長(60、広島県出身)は力を込めて語る。
焼きそば(四月)とうどん(九月)の販売が年内の二大事業だ。いずれも千四百食ほどつくり、現地で評判を呼んでいる。会員数約九十人で、平均年齢は六十五歳。子育てを終えれば入会してくる層があるという楽観論もあるが、やはり若い世代が少ないとの危機感が強いようだ。
創立五十周年記念式典は〇三年に行なった。「あなたたちがやらなければ、ほかにする人はいない」。日清・味の素アリメントス社(広田喬司社長)の関係者が後押し。同社がスポンサーになってくれることになり、記念誌刊行が実現した。
婦人会には演芸部(カラオケを含む)、華道部、体育部があり、それぞれに部活費が拠出される仕組み。例会などの記録を元に、各部の歩みを綴る。年によって、内容に濃淡の差が表われるため、編集作業は楽ではないようだ。
草創期には事業といえるものは特になく、毎月の例会に五~六人しか集らなかったこともある。会員の家庭に余裕が無かった時代だ。「でも婦人会に入ったら、旅行に行けたり、おしゃべりが出来ると言って参加してくれる人も少なくなかった」。
文協寄宿舎の二十五周年(七六年七月)を祝った時から、活動に熱気を帯びるようになり、結婚式の料理を頼まれるようになっていく。「八〇年代に、最高千五百人分つくったこともあります」と吉住前部長と斉藤元部長。
「焼きそばやうどんの販売にしたって、多くの協力者がいなかったら出来ないことですよ。何かするとなれば、みんな仕事をおいて駆けつけてくれます」と婦人会の団結力を誇らしく思う。
一時期、気難しい人の集るところだと、噂されたこともあった。「打ち解けあった雰囲気があるのが、一番の取柄。サンパウロに移った人も、参加したいと言ってくれます」。
記念誌はポルトガル語の翻訳もつく。婦人会を今後も絶やさないで続けていってほしいと、関係者たちは願っている。 - 「次の世代のために、半世紀の歴史をきちんと残しておきたい」。吉住しのぶ婦人会前会長(69、福岡県出身)と斉藤曙美元会長(60、広島県出身)は力を込めて語る。