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アチバイア市議会議長の小野さん=全伯的にも稀な連続当選=選挙は10戦全勝=71歳 元気の源は野球

2月3日(木)

 「両親は高知県出身ですが、僕はコチア県出身です」と冗談をいうのは、昨年十月の統一地方選挙で十回目の当選を決めた、サンパウロ州アチバイア市の市議会議長を務める小野敬男さん(たかお、71、二世)だ。「十回選挙に出て全勝」というブラジル有数のベテラン地方政治家は移民百周年に向け、いま地元とのさらなる連帯を誓っている。

 十勝(一期四年)の内訳は市長と副市長を一期ずつ、市議を八期だ。特に今回は、市議定員枠が十七人から十一人に大幅に減らされた厳しい選挙だった。
 アチバイア市の人口は約十五万人。日系人はわずか三・五%だ。多くの非日系人の幅広い支持なくしては、これだけの連続当選はありえない。
 「ブラジル広しと言えど、おそらく一番のベテランでは」とアチバイア文化体育協会の辻修平会長もいう。小野さんは八回目の当選の時、市議会議員協会に問い合わせたところ、「ブラジル全国で八回当選は〇・〇四%しかいない」と言われたそう。
 最初に市議に当選したのは六三年、二十九歳だった。「日本人の顔をしているから、間違いないとみんな投票してくれました。先駆者のみなさんが作ってくれたイメージのおかげです」と当時を振り返る。
 地元日系団体のバックアップを得ながら、連戦連勝を重ね、七九年から八二年まで市長を務めた。当時の法令により、市長をやった後は選挙にでることができず、八三年から八八年まで在野で過ごしたが、その後、すぐに復帰した。八九年から九二年まで副市長も務めた。
 コチア市生まれの小野さんが、アチバイア市に転居した四八年、市人口は二~三万人で、日本人はわずか二十三家族だった。市長をしていた八〇年頃、人口六万五千人のうち現在と同じ三・五%を日系が占め、市経済の二六%を左右するほどの力があったという。
 「私が市長をしていた頃、個人用のプールは三千五百個だったが、現在は五千個にまで増えた。それだけお金持ちが住む町になったということです」と町の発展ぶりを説明した。
 「今までに一番嬉しかったことは」と問うと、「野球で三冠王をとったこと」という答えが返ってきた。実は小野さん、終戦直後の四六年から野球連盟に入っていたという筋金入りの〃球児〃で、今でもベテラン大会に参加しているほど。
 五十五歳の時、ボンレチーロの大会で、打点、打撃、ホームランの三冠王になった記録を保持する。
 「野球をやっているから若くいられる」と、サンパウロ野球連盟の沢里オリビオ会長も太鼓判を押す。
 辻会長は「〇八年の日本移民百周年に向けて、市と地元コロニアをつなぐ架け橋として、ますます頑張ってもらわなきゃ」と、ベテラン市議の背中を叩いた。小野さんは、「すでに市役所との話合いで、百周年記念の野球場をオープンする案も出ている」と心強いコメントを語った。