2005年11月30日(水)
(2)ブラジルへ サンパウロ到着
◇1◇ ニューヨーク経由の日本航空72便に乗り、サンパウロに着いたのは現地時間の九月十二日午前七時半過ぎである。地球の反対側までも来た興奮のせいか、時差による疲労感はあまりなく、皆元気である。
治安面では、特にバスターミナルや空港での置引きが多いとかで、持ち物(バッグ、トランクなど)はしっかり身辺に抱えてという注意が出発前からあったが、何事も無く、出迎えてくれた小松さんと御子息のファビオさんに挨拶しホッとする。
空港の外は、意外に涼しい。気温十六度(摂氏)程度だったと思う。 東京は、今年は猛暑であり、友人・知人は、暑い暑い夏がやっと終わるこの時期に、また暑いブラジルに行くのは、〃年寄りの冷や水〃だ、とからかわれた。 我々もサンパウロを含めてブラジルは暑いという感触があり、夏服中心の準備であったため、その涼しさは身にしみた。
サンパウロは標高約八百メートルの高地であり、しかも早春である。従ってこんなものかと納得もできたが、その後訪れた赤道に近いアマゾンや、リオ、イグナスでも気温は予想以上に低い日々が続いた。想定外の低温に関して、二句。
● 猛夏には 大アマゾンで涼むなり
● この夏は アマゾン河畔で避暑をやり
なお、この場合のアマゾンは、今回旅行した地を代表している。
◇2◇ ホテルに荷物を預け、早速に市内の観光に出発した。 日本とブラジルとの間には対極点が多いが、サンパウロ市自体にも対極がある。たとえば、高層ビルの割合は世界第二位の都市であるが、道を隔ててファベーラと呼ばれる貧民層の掘っ立て小屋が集落をなしているなど、貧富の差が、ありありと目に付く。
一方、街には色々な人種が入り混じり雑多な雰囲気があるが、これが活気を呼んでいるという印象もある。
街の雰囲気にあわせ、料理も世界中のものがあるそうであるが、ブラジル料理の中心は、シュラスコとフェジョアーダということである。 到着日の十二日の昼食に、小松夫人手作りのフェジョアーダを御馳走になった。
フェジョアーダは小豆に似たフェジョン豆を肉と煮込んだ料理で、様々なスパイスをぶっかけて食べる。ブラジルの家庭料理の代表といわれ、豆と肉以外の具や、味付けは、家庭ごとに独自のものがある。なかなか美味しい料理であり、帰国してから東京のブラジル料理店に、改めて食べに行ったほどである。
小松夫人から料理の歴史や解説を聞いていて、フェジョアーダは、加賀地方(日本の石川県)の〃じぶ煮〃と共通点があると思われた。
この発祥は戦国時代、戦士が戦線で飢えを凌ぐため、止むに止まれずあるもの一切をごった煮にして食したもので、フェジョアーダも厳しい環境の中で止むに止まれず在るものを煮込んだ。いずれも切羽詰まった料理である。
● フェジョアーダ加賀のじぶ煮と似たいわれ
◇3◇ 東洋人街を通り抜けると、巨大なゴシック調のカテドラル(大聖堂)と椰子の並木が印象的な広場がある。このカテドラルは一三年から四十年の歳月をかけて完成したサンパウロ最大の教会(高さ九十二メートル)である。ブラジル人の七〇%はカソリック信者であり、教会は熱心な信者であふれていた。
この教会内に黒いマリア像がある。黒いマリア像はキリスト教以前の古代宗教の大地母神の姿といわれているようであるが、熱心にお祈りしている多くの人々がいた。私も家内も、雰囲気に押されてお祈りしたが、これを機に一句。
● 無宗教 黒いマリアに懺悔をし
ホテルへの帰途、早春の街路にはところどころで国花「イペーアマレロ」の花を見かけた。季節と気温から、日本の桜の時期の花冷えが思い浮かぶ。
●青い空イペーひかる花冷え日(はなびえび)
(岡本弘昭さん通信、つづく)