新年号
04年1月1日(木)
永田公子さん(七二、東京都出身)=モジ・ダス・クルーゼス市=は週に四回、ボランティアに出掛けている。二十年以上も奉仕活動の経験があるベテラン。いずれの現場までも自宅から片道約二時間の距離だが、〃通勤〃は全く、苦にならない。
「趣味なんですかね。でも遊びじゃダメ。責任を持つことが必要」
昨年、救済会理事に就任、もう一歩、施設に踏み込んだ立場からボランティアの在り方を探る。
亡き夫の呼び寄せで、一九五六年に渡航、味の素インテルアメリカーナに入社した。夫が日本特殊陶業(NGK)に勤務、同社の本拠があるモジに定住することになったため、退社。主婦のかたわら、日本語を教えた。
転機が訪れたのは三十年ほど前。日本在住の姑(故人)が雑誌『婦人の友』の購読者だったことから、愛読者グループでつくる「サンパウロ友の会」に入会。モジの最寄会に籍を置いた。この地区の特徴は社会福祉に力を入れることだった。
憩の園の職員に二年間、日本語を教授。契約期間が終了したおり、その後の協力を志願したら、おむつなどの縫製を頼まれた。一人でやるのは無理だと思って、友の会の友人に相談、モジから月に一回、奉仕に向かうことが決まった。
ボランティア活動に熱を入れ始めたのは五年ほど前から。夫が他界して一人暮しの生活がスタート、時間の余裕が生まれたからだ。冒頭のように、活動の場をどんどん広げていった。
介護、整髪、療育音楽など十一のボランティア・グループが憩の園を訪れている。〃交通整理〃をするため、専門の窓口が事務局に設置。コーディネーター役に抜擢された。
「施設と長い間、関わってくるうちに、入所者個人の問題や団体の維持運営についても、質問したいことが生まれた。ボランティア・スタッフでは組織に対する発言権がないと思った」
二世の高齢者が増えるに連れて、一世だけでは心のケアーが出来なくなってきている。ブラジルで教育を受けていないため、考え方に食い違いが生まれるからだ。「どんな歌が心に響くかだって、よく分からない」。つまり、人材育成が課題だという。
密度の濃い活動を展開するための方法は何か―。理事就任以来、各グループと意見交換をし、関係強化を図る。まだまだ、手探りの状態が続く。
夢は「憩の園を自分の家と思えるような心の通った温かいホームにすること」だ。