04/12/23
コラム 樹海
今年もまた「年の暮」がやってきた。歳晩や暮歳とも呼ぶが、年の終わりともなれば、何かと気ぜわしい。カトリックのブラジルではナタールの飾り付けが始まり真っ赤な衣装に身を包んだ白い髭のサンタ・クロースが愛嬌を振り撒きながら子供たちの夢を膨らませる風景が楽しい。日本でも十日には「終金毘羅」があり十三日は「煤払い」と忙しい日々が続く▼サラリーマンの楽しみは何と言っても「忘年会」であろう。この日ばかりは昔から無礼講の仕来りのようなものがあってそれぞれが憂さを忘れて大いに呑み「おでん」や「鍋物」をつっついて美味に酔う。が、調子にのってつい羽目をはずすことも多い。そんな情景をよくしっているのか桜坡子は「年忘れ乱に至らず終わりけり」の一句を残している▼暮れには「餅搗」もある。多くは二十五日から二十八日ごろまでに大きな樹木を刳り貫いた臼で賑やに餅を搗いたものだ。戦後のしばらく―米の産地では2俵も3俵も搗いて東京などの親類や知人に送ったものである。今で言えば「歳暮」の役割を果たしたのかもしれないが、これが大変に喜ばれたものらしい。もう、そんな時代は過ぎたけれども、あの田舎の「餅搗」は懐かしい▼この暮らしの慣習を移民たちがきちんとブラジルに持ち込んだのが嬉しい。暮れになると多くの県人会が「餅搗大会」を開き人々の評判もいい。糯はレジストロ産が一番とか―いや何処其処が最高の論争もあるらしいが、みんなが口々に騒ぐのがいかにも「餅搗大会」らしいではないか。 (遯)