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コラム 樹海

 高松宮妃喜久子さまが18日に亡くなられた。徳川慶喜の孫で高松宮とのご結婚は「公武合体」と話題になったが、スピード違反で警察官に注意され宮内庁からはお小言を戴いたりと賑やかなご性格の方である。故・秩父宮妃勢津子さまとご一緒に変装し東京のはとバスに乗り「花魁ショー」を楽しんだりもした。小さいときから「木登りが大好き」なヤンチャ少女でもあったらしい▼こんな一面を持ちながら喜久子さまが真剣に取り組んだのはガン撲滅の運動である。「高松宮妃癌研究基金」を設立し学者たちを援助するなど尽力し献身した。有栖川宮家出身の母実枝子さまが結腸ガンで亡くなったことが引き金になったらしいのだが、高松宮さまも肺ガンで倒れているし、ご自身も「私もなったのね」と乳ガンの手術を受けられている▼このように悪魔の病にとりつかれたご一家だったが、喜久子さま最大の偉業は「高松宮日記」(中央口論社。全8巻)の刊行であろう。あの「日記」出版には宮内庁は大反対であったけれども、喜久子さまが「宮内庁にそんな権限があるのですか」と訊くと「ありません」の答えが返ってきた。「それなら私は出すわよ」と出版に踏み切った。戦前、戦中、戦後に亙って書き綴られた「日記」は今や第一級の史料として読まれる▼紀宮さまを孫のように可愛がり一日も早い結婚を待ち望んでいたそうだ。その婚約発表の日に薨去されたのは真に無念のお気持ちであられたろうが、喜久子さまの思いはきっと紀宮さまに伝わると信じたい。 (遯) 

04/12/21