11月26日(金)
〃日本晴れ〃の恵みはこの日のため、というような二十三日、「コチア青年の森」の第一次植林が、サンロッケ市にある国士舘スポーツセンターの森で行われた。還暦や古希を迎えた往年の青年たち三十数名が、孫たちと一緒に植林に汗を流した。
植林が始まった午前十時頃には、雲ひとつない快晴となり、近郊だけでなく、百キロ以上も離れたパライバ地域などからも仲間が集まり、幸先の良い植林活動の始まりとなった。パウ・ブラジル、イペー、パイネイラなど、二十六種類二百五十本の苗木がサンパウロ州環境局森林院から提供された。
森林院の山添源二、アントニオ・セルソ・マるチンス・デ・メロの二技師が苗木を持参して応援に駆けつけた。「日なたに育つ先駆種と日陰に育つ極相種を半々ずつ持参しました。サンパウロ州に自生している樹種ですので、この場所でも健全に育つでしょう」と専門的立場から参加者を激励した。
冒頭に、コチア青年連絡協議会の高橋一水会長(高知県出身)が「昔は木の根っこを掘り起こすのが我々の仕事でした。今は植える立場になりました。植林を通して一丸となって社会に貢献していきましょう」と力強い挨拶をした。
ブラジル日本文化協会で国士舘スポーツセンターを管理している小川彰夫理事は「このセンターは日系コロニア共有の財産です。ここに自生している多くの木の中には、有用材もたくさんあります。今日は新しい樹種が加わりますので、研究や勉強の場にもなるでしょう。多くの皆さんにこの森を訪問して欲しい」と強い期待を表明した。
祖父母と一緒に参加した九人の子供たちの最年少は、新留静・節子夫妻(鹿児島県)の孫で三歳の金井クリスティーちゃんだ。お婆ちゃんのそばで、Plantei arvore curti natureza と感想を漏らしていた。この日の経験は一生忘れることはないであろう。〃日本晴れ〃の恵みは、木と子供たちが共に成長する夢の始まりでもあったようだ。
植林の穴は、去る九月二十九日、造成委員らが掘った(本紙・十月二日報道)もの。偶然とはいえ、その植え穴を掘った一人で造成副委員長の山田充伸さん(岐阜県)の六十八回目の誕生日が二十三日だったため、植林作業の後は誕生祝いで昼食が大いに盛り上がった。華を添えたのは婦人たちの手づくり料理だ。
メタセコイアも植えられた
サンパウロ市の北東にあるイタペチ市から参加した野村愛國さん(島根県)が「メタセコイア」の苗木を持参した。和名をアケボノスギと呼び、生きている化石として知られている樹木だ。日本では天皇陛下(が皇太子の時)のご成婚を祝って、全国の小中学校に植えられた慶賀の樹木でもある。植林作業の最後に全員でメタセコイアを植えて、記念写真に収まった。
「この植林が現役最後かと思ったが、植えているうちに、元気でもっと長生きしなければならない、と言う気持ちになった。苗木に教えられたよ」とは、五十周年記念準備委員会委員長の山下治さん(福井県)の自戒の弁だ。
黒木慧造成委員長(宮崎県)は「こんなに大勢集まってくれて、今日は幸先の良い第一歩となった。これからも植林を続けて、森再生のモデルにしたい。植えた木の管理もきちんとやっていく。今後の植林に積極的に参加して下さい」と広大なブラジルの各地で活躍しているコチア青年仲間たちに参加を呼びかけていた。
植林から五日後の十一月二十七日は満月だ。生物は満月に向けて水と養分を旺盛に吸収する。第一次植林は月の恵みも享受したようだ。