11月10日(水)
新潟中越地震で大きな被害を受けた長岡市で二百人の在日ブラジル人が避難所生活を送っている。彼らを救おうと、他県の日系ブラジル人らが、物資の援助や通訳ボランティアなど救援活動に乗り出す姿が目立つ。地震体験がほとんどないブラジル人。避難者以外でも慣れない体験に怯え、一時的な情報過疎になり混乱した人たちもが見られたという。このため、外国人の多く住む群馬県太田市や大泉町では、外国人向け災害情報の伝達を見直す動きが出てきている。
一日付上毛新聞によると、群馬県大泉町の日系ブラジル人らが十月三十一日、三トントラックに救援物資を詰め込み、長岡市へ向けて出発。物資は埼玉、愛知、栃木、長野などの在日外国人約百五十人が寄付したもので、ブラジルのパンや水、カップラーメンの食料のほか、オムツなどの日用品も集まったという。
きっかけは在日ブラジル人向けメディアIPC群馬支局の記者らが避難所を取材し、悲惨な状況を見たことだ。「避難所の人たちはパニックになり、精神的に参っている。これからが大変」と援助を決めた。
長岡市のブラジル人登録者は約五百人。二百人が避難所で生活しているほか、約百人は車の中で過ごしているのが現状だという。
仲間に呼びかけ救援物資を集めた大泉町の幕田マリオさん(31)は「長岡でもたくさんのブラジル人がお世話になっている。これは少しだけれど、お礼の気持ち」と心境を語った。
長岡市では救援物資を届ける以外に、ブラジル人と日本人のコミュニケーションの橋渡しをと、不足している通訳のボランティア活動を行なったようだ。
地震体験なし
恐怖におびえ
約一万四千人の外国人が住む群馬県太田市と大泉市。うち六割が地震体験がほとんどないブラジル人だ。太田市の五階建てマンションに住む二十代の日系女性は十月二十三日夕方にあった最初の揺れ(太田市・震度4)で玄関を飛び出した。余震がおさまるまで部屋には戻れなかった。「初めてでどうしたらいいか怖くて分からなかった」と、九日付朝日新聞に語っている。
同紙がIPC群馬支局記者に取材したところでは、長岡市の日系人は避難所の場所がわからず、大半が市役所に集まったという。ポルトガル語の通訳はたった一人。「避難所の壁に貼った日本語の伝言は読めず、学校に通う子供から必要な情報を得ていた」と書く。 十月末、愛知県豊田市で外国人が多く住む十五自治体と中央省庁の担当者が協議する「外国人集住都市会議」があった。会議では「地震直後、在日ブラジル人に災害情報がうまく伝わらなかった指摘もあった」と同紙。
同紙によると、大泉町では、来年一月に外国人に対する防災訓練をする検討を始めたという。太田市では、NPOの災害ボランティアネットワーク大田と協力し、近く外国人向けに「身近な地域の防災マップづくり」の検討に入る。また、ポルトガル語放送もある、第三セクターのおおたコミュニティ放送「エフエム太郎」を機動的に活用するなど、災害時の情報伝達のあり方を見直したいとしている。
ブラジル銀行
支店に募金箱
日本のブラジル銀行は、被災者に毛布、衣類や食料支援するため、各支店に募金箱を設置。東京のバネスパ銀行は被災者のために義援金口座を開設した。
日本の口座名はAUXILIO・NIGATA。口座番号は002036。問合せ電話0081・03・3214・0608。
また十月二十八日からは、ブラジル日本文化協会と新潟県人会が中心になって呼びかけている義援金の専用口座は、ブラデスコ銀行(銀行番号237)リベルダーデ支店(支店番号0131-7)口座番号123・300-9.振込先 SOCIEDADE BRASILEIRA DE CULTURA JAPONESA.