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San Paolo/Sao Paulo -4- 「ベニスの青春」

グルメクラブ

11月5日(金)

 一九九八年、一レアルは一ドルで、ブラジルが今より一千万人分は身軽だったころ、わたしの財布の中身は乏しく、体重も五キロは軽かった。そんな時代、わたしは毎日毎食を、安バールにお世話になっていた。牛、牛、豚、魚、腸詰、オムレツ、鶏、鶏とメニューの端から端まで、あらかた食い尽くしてしまったかと思ったある夜、フィーガド(レバー)をまだ試していないことに気付いた。
 「ヴェネツィア風フィーガド」と、その店のメニューにはあった。値段は三・五レアルだった。ロマンチックな水の都のイメージと、血の貯蔵庫・肝臓が頭の中で「おいしく」結びつかなかったが、当時は味より値段が重要だった。注文して出てきた品は牛レバーのタマネギ炒め。これが思わぬ拾い物で、ささやかな珍味を発見した胃袋は喜んでいた。フィーガドとの蜜月はしばらく続いた。
 サンパウロの定食メニューには俗に、パスタ類を除いて三つのイタリア料理が定着していると発見したのも、そのころだ。牛のカツレツ、ビッフェ・ア・ミラネーザ(ミラノ風)がまず一つ。そのカツレツにとろけるチーズと、トマトソースがかかったビッフェ・ア・パルメジャーナ(パルマ風)。さらに、くだんのフィーガド・ア・ヴェネツィアーナである。 バウルーなるサンドイッチを発明したことで知られるサンパウロ有数の老舗「ポント・シッキ」(創業1922年)でもヴェネツィア風レバーは食べられるとはあとで知った。私見だが、同店の料理はおしなべて、パウリスタ伝統の食文化にどっぷり根をおろしている。
 ところでアドリア海に浮かぶヴェネツィアといえば、新鮮な魚介類を活かした料理が主役で、肉料理はむしろ脇役に過ぎない、と早合点していた。実際の事情は少し異なるようだ。その土地の名物にレバーがあれば、カルパッチョ(生肉の刺し身)もある。東京の某ヴェネツィア料理専門店でもカルパッチョは前菜に、レバーは代表的主菜の地位を与えられている。
 それは「名物仔牛のレバーオニオンソテー、焼いたコーンミール添え3000円」と、誇らしげにある。ホームページの品書きでみかけたときは一人うなった。三・五レアルの料理に毛が生えただけだろう料理が、地球の反対側では三千円に化けていると。
 サンパウロのイタリアンレストランでも、高級なヴェネツィア風レバーを食べられるだろうか。最近は多くの店がそのメニューをインターネット上に流しているので便利だ、調べれば、ピニェイロス区「ネロス」にあったし、ペイショトオ・ゴミデ街「レリース」にもあった。随分安い値段設定だ。恐らくバールとそう代わり映えしない外見と味であることは十分に予想される。
 ヴェネツィア出身のイタリア女性が創業したラルゴ・ド・アロウシェ「オ・ガット・キ・リ」ではどうだろうと足を運んでみたが、残念、同店ではレバー料理を提供していなかった。半世紀以上前の一九五一年から続く店なので、存在した時期もあったかもしれないが。今日、ここでヴェネツィア気分を味わいたいなら、イカ墨を練りこんだパスタを注文するほかないようだ。
 魚貝のトマトソースと一緒にいただけば、黒と朱色の対比が目に鮮やか。とりわけ大エビのぷりっとした歯ごたえが官能的で、絵画で言えばやはりすこぶるヴェネツィア派的な作品である。などと書いて思い出したが、あのメロンの切り身を塩気の強い生ハムで巻いて食べる独特の作法も、ヴェネツィア生まれという。海上帝国と呼ばれた時分の文化爛熟をしのばせる、享楽的な料理文化の名残だろう。ねっとりとした食感のレバーを好んで食べるのも、あるいは、そうした官能グルメ追求の途上に見出した粋かもしれないが、少なくとも、わたしにとっては困窮独身生活の日々を思い出す味として刻まれている。月月火水木金金と艦隊勤務ならぬ、安バールでの食事を余儀なくされたブラジルでの「青春時代」。なぜフィーガドがこんなにもほろ苦いのか。いま、ようやく謎が解けた。
 
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