11月4日(木)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二日】三十一日に行われた全国市長選挙で各党の勢力分布図が塗り変えられた。総得票数では与党PT(労働者党)が辛くもトップを維持したものの、PSDB(ブラジル社会民主党)が肉迫し、大躍進を遂げた。かつPTは州都など大都市で敗北し、市長のポストもPSDBの八百七十に対し四百十一と半数に満たなかった。一時期国内第一党を誇ったPMDB(ブラジル民主運動党)は一千五十三人の市長を得たものの得票数が激減し、PFL(自由戦線党)と共に衰退の様相を見せつけた。PDT(民主労働党)とPPS(社会大衆党)は下馬評に反し健闘した。サンパウロと北リオ・グランデの二州で同じ党派の知事と州都市長が誕生した。
全国市長の第二次決戦投票では、PTが与党の強みを見せて総得票数でトップとなったものの、州都九つのうち、わずか三市長(フォルタレーザ、ポルト・ヴェーリョ、ヴィトーリア)でしか当選せず、大都市に弱い姿を暴露した。得票数は六百九十万票(第一次選挙では千六百三十万票)で、十一市長(前出の三市長を含む)を獲得した。代わりにこれまでPTの地盤を誇っていたポルト・アレグレ、ゴイアーニア、ベレンの州都で城を明け渡した。
一方でPSDBはPTに肉迫する六百四十万票(第一次は千五百七十万票)とし、七州都のうち五市長を誕生させるという効率の良さを見せた。この中には国内最重要都市のサンパウロとクリチーバが含まれている。
名門と言われたPMDBは歴史と伝統に物を言わせ、第一次では千四百二十万票で千四十七市長を当選させたが、第二次では百六十万票と振るわず六市長に留まった。レオネル・ブリゾーラ党首の死去で行き場を失った感じのPDTと党内分裂騒動のPPSは、共に下馬評に反して善戦した。両党は合併の話があり、存続に向けて支持者が一丸となったとみられている。PDTは第二次で百六十万票と四位につけ、五市長が当選した(第一次は五百五十万票で二百九十七市長)。PPSは七十八万票で、激戦地ポルト・アレグレ市を含む四市長(第一次は四百九十万票で三百市長)だった。
PFLは伝統に物を言わせ、第一次では千百二十万票と七百八十六市長が当選したが、第二次では振るわず、わずか百万票で決戦の二候補はいずれも敗退した。PSB(ブラジル社会党)は好成績を収めた。第二次は八十八万五千票で三市長、第一次では四百四十万票で百七十二市長とした。これにはマナウスとナタルが含まれている。PTBは六十六万九十二票で二市長(第一次は五百二十万票で四百二十市長)、またPPは三十二万九千票で二市長(第一次は六百万票で五百四十八市長)と予想通りの結果となった。