10月22日(金)
ふるさと巡り一行の歓迎夕食会には、マナウス在住の羽田重吉さん(新潟県出身)も姿を現した。十七家族いた戦後移住第一回のアマゾン移民(大半が日本へ帰国)で、現地に残っている数少ない一人だ。
「なあに、ただ逃げ遅れたんですよ」。八十六歳の羽田さんは冗談めかして笑う。
辻特許による第一回アマゾン移民十七家族五十四人は、ジュート栽培のため、一九五二年十二月二十八日にサントス丸で神戸港を出航し、翌五三年二月十一日にリオ着、ベレン港へは三月七日だった。これが戦後の家族移住第一号。高拓生の家に雇用される形で、二年間の契約農期だった。
奇しくもこの年、アマゾン川は大氾濫を起し各地で大洪水となった。
「どぎもを抜かれましたよ。耕地と言われた土地は水びだしで、こんなところで農業をやるのかと」と回想する。当時の記録によれば、わずか二週間にして四家族が逃げ出した。
平年で十二メートルもの水位変動のあるアマゾン川だが、この年は十六メートルもあった。第一回移民到着と前後するように、見る見る増水した。そのためジュート刈入れのためには三~四メートルも潜水し、根っこを切断する必要があった。一刈りするたびにその繰り返し。これは尋常な〃農業〃ではなく、現地を見て、その場で他に移った人もいた。
第一回移民たちは、敗戦による貧乏暮らしは経験済みでも、マラリアが蔓延する地での前世紀然とした過酷な労働には、容易に耐えられるものではなかった。
「戦後の移民の見本となるよう、きつく訓示を受けてきましたから、『第一次移民敗れる』というニュースが流れないように必死の思いで耐えました」
結局、高拓生のもとに留まったのは、羽田さんだけだったという。
戦後第一回のアマゾン移民十七家族のその後を追跡したドキュメンタリー番組『サントス丸の十七家族 忘れられたアマゾン移民』(読売テレビ制作、一時間)にも出演した。この作品は優れた報道に贈られる第十一回坂田記念ジャーナリズム賞を今年三月に受賞した。硬派なルポだ。
番組の中では、日本に帰国して、移住経験をひたすら隠しながら道路工事の旗振りをする、かつての仲間の苦渋に満ちた姿も映し出されていた。
「日本に帰ったからと言って、幸せとは限らない。とりあえず、こっちでも食うには困らないし、どこへ行っても最長老だから〃羽田のじいさん〃と言ってもらえる」
アマゾン同様、甘い移住宣伝広告とは全く異なる、劣悪な条件の土地に移住させられたドミニカ移民が現在、国を相手取り補償裁判を起している。
この点に触れると、「みんなから棄民だったと言われれば、そうかとも思うけど希望もあって出てきたんですよ。希望半分、勧誘も半分ですかね。ごっそり払ってくれるならいいが(笑)、今さら棄民、棄民と騒ぎ立ててもね」と考えている。
「僕は、決して失敗だったとは思っていません。大葬の礼にも参列し、今上天皇と三十分も話をさせてもらう機会にも恵まれました。アマゾン辺りに来て、天皇陛下に拝謁して、金払えとは言えないですよ。だから〃逃げ遅れた〃って冗談言ってるんです」
外務省、海協連(JICAの前身)への怨み辛みは尽きないだろうが…。
今でも疑問に思っている点がある。「なぜアマゾンの実情が当時、日本に伝えられなかったかが、今でも疑問です。こっちで書いた手紙が日本に届いていなかったんです」。
時代は変わり、マナウスには移住者だけでなく、大手日本企業も進出するようになった。羽田さんもホンダなどが工場を建設する際に手を貸した。
「日本企業で何千人も食べている。今じゃ、日本人と言えば一目置かれる。確かに〃逃げ遅れた〃けど、そんなに悪くはなかったね」。 つづく
(深沢正雪記者)
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