移民のふるさと巡り~赤道の4都市へ(14)=サンパウロ市近郊にもないような=E・サーレス〃総合〃養鶏場、歴史40年
10月21日(木)
グランジャ宮本は、エフィジェニオ・サーレス自治会の宮本倫克会長(61、第一次入植)が約四十年の歳月をかけて育て上げてきた養鶏場だ。採卵用に現在二十四万羽を飼育する。赤道直下で飼うための工夫として、風通しを良くするために鶏舎の床を二メートルほど上げている。「一日の温度差が少ないから飼い易いんです」という。
宮本会長は、身長百八十センチの巨体を揺らしながら、ふるさと巡り一行から浴びせられる様々な質問に、一つ一つ誠実な返答をする。
日産十六~十七万個で、全自動採卵機を備えた鶏舎もある。養鶏場内でケージを作り、再生紙から卵ケースを作る工場を持ち、さらに配合飼料も作っている。配合飼料原料を納める倉庫は「湿気が多いので、鉄の壁だと錆びるから全て木の壁です」という工夫がなされている。マナウスや近隣都市に出荷されるという。
◎ ◎
二十日午後七時、マナウス市内の日本食レストラン東京で、歓迎夕食会に出席。エフィジェニオ・サーサレス自治会の人をはじめ、日系団体代表者など約三十人が歓待してくれた。
西部アマゾン日伯協会の村山惟元(これもと)会長は「遠路はるばる来て頂き、このような機会を作ってもらい光栄です。この出会いを有意義なものにしたい」と挨拶した。
村山会長は一九五八年からマナウスのJICAに勤務、六五年から九八年まで同総領事館で働いており、同地の生き字引とも言われる存在だ。
高橋勇マナウス総領事は「皆様の中には最初アマゾンに移民され、その後サンパウロへ移った人もいるのでは。今晩はゆっくり北伯の移住者とご歓談ください」と語った。
続いて、アマゾナス日系商工会議所の山岸照明会頭が、同地での日本企業の発展ぶりを説明した。
「昨年、ゾーナ・フランカ工業部門では百億ドルの売上があり、うち二五%を日本企業が占めた。工業部門の二十一社でこれだけのシェアだった。今年は百四十億ドルまで行くのではと見られている。このように日本からの入植者同様、企業もアマゾンの発展のために力を尽くしています」と語った。
同会議所の会員企業は五十四社で、うち二十五社が日本からの進出企業だ。ホンダ、ヤマハなどの二輪メーカーとその関連企業だけで十一社、加えてソニー、パナソニック、パイオニア、サンヨーなど名だたる企業が名を連ねる。
軍事政権により六七年にゾーナ・フランカに指定されて以来、この地区は輸入禁止製品を国内で代替製造する拠点として大きく栄えた。ところが、一九九〇年、コーロル政権が輸入を解放し、ゾーナ・フランカは危機を迎えた。どん底の九〇年代。「各社の努力により盛り返してきました」と山岸会頭は強調した。
南雲良治ふるさと巡り団長は「サンパウロ近郊にもないような立派な鶏舎を見せてもらった。ある意味、あっちよりも発展しているのでは、という感想を持った。このような懇談会を開いてもらい、心から感謝します」とお礼を述べた。
夕食会の間、あちこちで「ねえ、私誰だか分かる?」「え~っ!」という声が。懐かしい再会の場面が繰り広げられていた。午後九時過ぎ、恒例の「ふるさと」をフルコーラス、全員で合唱。再会の余韻か、涙ぐんでいるご婦人らもチラホラいた。
この席には、第二次大戦のビルマ激戦の生き残りであると同時に、戦後移民第一号の羽田重吉さん(86、新潟県出身)も参加していた。 つづく
(深沢正雪記者)
■移民のふるさと巡り~赤道の4都市へ(13)=天国―拓魂が作り上げた=E・サーレス移住地 40度超す灼熱の下
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(12)=ピラルクの干物、丸めて輪切り=女性らしっかり買い込む
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(11)=ピメンタから大豆に=サンタレン年2回栽培可能,土地高騰
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(10)=大豆景気でうるおう=サンタレン北パから移住する人も
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(9)=「まずは『土人』になろう」=高倉さん熱帯で農業する哲学
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(8)=アマゾンのフェイジョアーダ=「マニソバ」に〃挑戦〃
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(7)=学校経営を最重点に=サンタイザベル・サントアントニオ協会スポーツも振興
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(6)「アマゾン群馬の森」へ=植樹、原生林内を散策
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(5)=スコールの中、先亡者慰霊法要=竹中さん〃姉〃81歳と50年ぶり再会
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(4)=教育熱心、アマゾンの日本人=子弟の80~90%が大学出
■移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(3)=車椅子で現地参加も=マザゴン植民地第3陣立野テルさん80歳