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移民のふるさと巡り~赤道の4都市へ(13)=天国―拓魂が作り上げた=E・サーレス移住地 40度超す灼熱の下

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10月20日(水)

 天園とは―、この地か。
 一九二六年、移住地に縁の深い田付七太大使(初代ブラジル大使)が詠んだ。
「千早振る神代ながらの天園に 移し植えなむ 大和民草」
 当時、アマゾン開拓に向かわんとするものには、みなこの意気込みがあったという。
 エフィジェニオ・サーレス自治会(Associacao Comunitaria Nipo-Brasileira Efigenio de Sales)の記念誌名は、この句からとって「天園」と名付けられた。ここは全伯でも珍しい〃自治会〃の名を冠する日系団体だ。
 州の計画移住地で、一九五八年に海協連の指導で十七家族が入植し、以来、五九年に六家族、六〇年に十五家族、六一年の第四次入植では十六家族と計五十六家族が入った。石川県人が多い。日本へ帰国するもの、都会へ転住するものもいたが、現在でも三十一家族が住む。
 九月二十日午後三時半頃、ふるさと巡り一行は自治会会館に到着。宮本倫克会長(61)は挨拶の中で、移住地の歴史を振り返った。
 「入植当時は、アマゾナス劇場の横道に空箱で売店を作り、二十日大根など葉野菜を販売してました。その後、海協連からフォードの六トン車を貸与され、海協連マナウス事務所を買収して、共同販売所として活用するようになりました」
 『天園(第二部)』(三十年誌刊行委員会、九一年)に第一次移民、江藤?さん(当時、西部アマゾン日伯協会会長)は入植時のことを、こう記す。
 「毎日四十度をこす灼熱の太陽の下、山焼き、寄せ焼き、抜根作業の明け暮れに、いつしか体力は衰え、色だけは黒くなり、アメーバやマラリア等にかかり、言語に絶する苦労の連続でした。しかし、この苦境の中で鉄石の如き拓魂と忍耐で一日一日と作り上げた耕地にピメンタ・ド・レイノ(胡椒)や野菜等が育ち、実を付けた時の喜びは一通りではなく、今なお忘れることはありません」
 宮本会長は「最盛時には野球だけで八チームありました」と語った。「精神面を含めた日本文化のよき面を、次世代に方々に伝えられたらと念願しています」。会長も五八年にあるぜんちな丸で移住した第一陣だ。
 田付七太大使がアマゾン視察をした際、歓迎した当時の知事がエフィジェニオ・サーレス氏で、それにちなんで名付けられた。第一陣入植翌年の五九年四月には農協が、六三年には自治会が創立された。
 六七年、マナウスが自由貿易港(ゾーナ・フランカ)に指定され、工業団地を造成し、日本の大企業も次々に進出した。セアザも設立し、「出荷増大、活気をおびました」という。七六年に、半額日本政府負担で入植地の電化工事が行われた。
 自治会会館は入植十周年の六八年に建設が決議され、十三周年に落成。当時は木造だった。二十周年の七八年に二次工事、四十周年の九八年に鉄骨に現会館に立て替えた。
 最盛期には二百トンを越す生産量を誇った胡椒だが、病害の侵入を受け、三十周年(八八年)には、支柱のみが墓標のように延々と散財する状態になっていた。その苦しい試行錯誤の中で、人口増加著しいマナウス市への鶏卵供給基地として、現在のような地位を築いてきた。
 天園とは、何の努力もなく最初から与えられたものではなく、アマゾン移民の命を賭けた拓魂が作り上げたものであることが伺われよう。
  ◎    ◎
 午後四時半、会館を後にした一行は、宮本会長の経営する養鶏場へ向かった。
つづく(深沢正雪記者)

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