8月28日(土)
「三世、四世の子供たちが日常会話の中で日本語を使っている現実は、移住地の中でめずらしい現象だ。なぜそうなのか、を解明して博士号論文としたい」という意欲を持って、弓場農場で一年間の〃体験〃生活を始めている大学院生がいる。関西学院大学院言語コミュニケーション科に在籍している静岡県生まれの渡辺伸勝さん(二七)だ。
日本にいる南米からの出稼ぎ者の研究をする中で『パラレル・ワールド』(深沢正雪〈現ニッケイ新聞編集局長〉著)も手にした。
日系出稼ぎ者の中には、日本語が不十分な者がいる反面、日本で生まれた子供たちの中には日本語もポルトガル語も十分に出来ない者がいる。これが親子の意思疎通を困難にしていることを知った。
この逆の現象がかつての移民社会に存在した。これを解決する道の一つが〃接着剤〃としての二言語(バイリンガル)習得であろう。
その理想的な条件を備えているのが弓場農場(通称・ヤマ)だ、と渡辺さんは考える。ヤマで解決のヒントを見つけ出したい。大切なのは一過性の研究でなく、研究者と被研究者の垣根を越えることだ。そのためには、同じ生活を通して同等の立場で何かを感じることが不可欠だ、と考えて、ヤマでの一年間の体験生活を決意した。
ブラジルに来る前には、半年間休学して浜松市で日系出稼ぎ者と一緒に工場で働いた。「この経験で研究の視野が広がった」と述懐する渡辺さんだ。
ブラジル日本文化協会の吉岡黎明副会長に紹介してもらい、妻の泰美(ひろみ)さんと共に八月五日にヤマに到着した。午前中は農作業に参加し、午後は一日一時間、週六日、ヤマの子供たちへの日本語指導を手伝う毎日だ。
泰美さんは、炊事の手伝いをしながら、ヤマの女性たちの日常生活を体験している。このような生活を通して、日本語が子供たちにも継承されている原因の解明に夫婦共同で挑戦している。
パラー州ベレン生まれのジャクソン・マサノリ・タカイモロトミさん(二二)も、弓場農場で〃体験〃生活をしている一人だ。意義ある人生を始めようと、出発点にヤマを選んで、もう五カ月になるという。「日々の出会いが楽しいですよ」と当分はヤマを離れる気持ちがない。
広島県の池田大輔さん(二五)は、八月十七日にヤマに来た。東京の勤務先でブラジルからの出稼ぎ者と知り合いになり、自分の目で移住者のいる国を見てみようと思い、サンパウロに来た。宿泊先のペンソン・アラキでヤマのことを聞き、興味半分でヤマに来た。農作業は初めての経験だ。まだあまり役に立たないが、ひと月ほど滞在して、農作業でも役に立つ人間になりたい、と意欲満々だ。
弓場農場は、サンパウロ市から約六百キロ離れた第一アリアンサにある。『来る者を拒まない』ヤマの人々の懐の深さが、いろいろな目標を持った日本の若者たちを魅了しているようだ。