戦後の日本で強くなったのは靴下と女だそうだが、増えたものには大学がある。戦前にあった一高や三高などの旧制高等学校や専門学校なども新制大学になったのだからその数は二百三十にも膨れ上がった。急行列車が停車し駅弁のあるところには大学が誕生したので「駅弁大学」と称したのも懐かしい。確か―評論家の大宅壮一氏が言い出したらしい▼まあ、最高教育機関が増えるのは喜ばしいけれども、駅弁大学の言葉には粗製乱造への批判色が強い。数ばかりが多くても、手軽さが目立ち実力の低下をも意味する皮肉と痛烈な非難である。今や高校卒業者の約五〇%が大学に進むそうだが、大学といってもピンからキリまでいろいろ。質の問題も出てくるし難しい問題が横たわっている▼八十年代に入ると、大学の合併や統合も論じられるようになったし、生き残るための方策に懸命になりもした。が、一方では中国から留学生を導入し、授業はともかく不法就労させる酒田短大のような悪質なものも多い。それに子供が少なくなっており大学の看板を掲げれば入学希望者が殺到も夢のまた夢▼そんなこんなが影響したのだろうか。私立大学の二九%が入学定員割れだという。四年生大学で百五十五校に達したそうだからただ事ではない。これが短大になると四一%だから―凄い。もうここまでくると、哲学だやれ物理学などの議論はすっ飛んでしまう。いかに経営を安定させるかに走らざるをえまい。あるいはもう「さようなら駅弁大学」なのかもしれない。一七日付け井上康夫を康生に訂正します。(遯)
04/08/19