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唄でつづるカンゲイコ=柔道(7)=「終り」よければすべて良し=「また来年も」と生徒に約束

8月18日(水) 

  (ポッソスの)市職員が時間を守らないこと、シュベイロの修理を頼んでもすぐにしてくれないこと、食事が〃貧しい〃こと――私が焦(あせ)って文句をいうと、職員らも言い返す。かれらの言い分は「マツオは、なんでも急ぐ。遅れるとすぐに怒鳴る。ここはブラジルなのだ」「夜中でも平気で電話をかけてくる」「せっかくの七月の休みが、カンゲイコのお陰でメチャメチャになった」。などなど私の評判は非常に悪いのである。
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 柔道道場があるヴィラクルス―ヴィラリッカ地区は、この町で最も貧しい地区の一つである。たくさんのモレキたちが腹をすかして、希望もなく、ルアでブラブラしている。カンゲイコなど始まれば、練習を見るふりをして、こちらのスキをうかがっている。
 掃除婦のオバさんがちょっと後ろのポルタを閉め忘れれば中に入り、何かを取って逃げて行く。その速さはネズミ小僧のようだ。テニスがなくなり、ブルーザがなくなり、そしておカネがなくなったという者が出てくる。
 調書を取りにきたPMに「プロフェソール、この辺のガキは、ドロボーなのだから、もっと気をつけてくれないと困るよ」と怒られてしまった。だが、七十人の生徒のカントクを道場でして、後ろのポルタまで目が届かないのだ。
 バストスの馬掛場さんでも、練習中にタマゴの売上げを全部取られるところだった、と話していたのを思い出す。
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 そういうことが続いて、大いに頭を痛めた私は「やっぱり生徒からおカネも取らず、市のフンドシで相撲を取ろうとしたところに無理があったのだ。こんなことはこれが最後。ヌンカマイスだ」と考えた。そして、ヤケクソになって猛練習を課した。
 金曜日、最終の練習を終えてから、一同整列して「♪揺るがぬ富獄、雪清し、讃えよ柔道、我らの柔道」の大合唱をした。正座、黙想、そしてカンゲイコ終了の礼を生徒たちが「ありがとうございました」としてくれた時、私は「みんな、ありがとう、ごくろうさん」さらに「来年は農大から学生を呼んで、もっと良いカンゲイコをやるから、みんな、また来いよ」と言ってしまった。一同、もの凄い気合で「ウオー」と答える。
 全員を付近のシュラスカリアに連れて行き、盛大にアルモッソをする。怒っていた職員たちも「良かった、良かった」と喜んでいる。「ゴチソーさまでしたー」と大きな声であいさつをしたのち、生徒らは私をがっちりと抱き締めてくれてから、待機していたバスに乗って宿舎へ帰って行った。
 全員を送り出したあと、レストウランテの片隅に呆然と座っていた。「終わったなぁ」と思うと、安堵のため息が出た。「♪柔道やめて闇屋になれぬ、講道館には義理がある」。間の抜けた声で唄いながら、家路に向かう私の足取りは軽かった。(おわり)