戦争の残虐さと悲惨。五十九年前の六日午前八時間十五分三十秒。広島上空に原爆が投下され二十四万七千人の命を奪った。広島の住民は三十万六千五百余人(当時)であるからいかに被害が大きかったかがわかる。九日には長崎にも「ファットマン(太っちょ)」が投ぜられ市民ら七万三千余名を死に追いやる。今もなお原爆症で苦しむ人々が多く、ブラジルにも百三十余人の被爆者が健康を気遣いながら暮らしている▼あの当時―。広島や長崎は再起不能とまで言われたが、今や見事に蘇り自動車や造船の大工業地帯に発展したのは周知の通りである。しかし―。市民の胸に刻まれた傷痕はまだ癒えてはいない。世界に向けて核廃絶を訴える「原爆忌」が今年も厳かに行われたのも、こうした市民の心を素直に表したものと見ていい。式典に出席した小泉首相は「非核三原則」の堅持を誓い核兵器の廃止にも言及したが、唯一の被爆国の首相としては当然の発言である▼だが原爆禁止の運動には一つだけ注文がある。共産党系統の「原水爆禁止日本協議会」と旧社会党系である「原水爆禁止日本国民会議」と別団体になっているのはおかしい。今年もまた二つの団体が別々に「核兵器廃止」を訴えたけれども、分裂開催ではいろんな誤解を生むもとである。特に原水協は旧ソ連の原爆には容認するというような言辞を弄ぶことすらあった。このように反核運動が政治やイデオロギーにまみれる愚は避けるべきだし、核廃止への建設的な訴えを発信するような姿に変えるべきである。(遯)
04/08/07