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コラム 樹海

 モーダ(はやり、流行、ファッション)は、いつからか、若い層の気持をつかまなければ「モーダにならない」ようになってしまった感がある。衣服の購入者として、収入が多いはずがない、にもかかわらずである。おカネを出すのは、親ではないか、といった声はかき消されてしまう▼西瓜(すいか)の形はモーダとはいわないが、日本では小さい品種の栽培が推進され、主流になるという。なぜ小さいのがいいかといえば、生ゴミを少なくするため。特にゴミ出しが不得手な?若い層に受け入れられるために、といえば、ウソだろう、といわれそうだ▼次は民謡。いわゆる正調とされるものは、リズムがゆっくりしているものが多い。またしても、若い層に受け容れられるために、アクセントというか、リズムを変える。伝統のある民謡も時代で変えられる。正調が本物で、本物だけがいい、などとばかりは言っていられない。「佐渡おけさ」などは、ゆっくりを変えたら「おけさ」でなくなってしまうだろうに、と思うのだが▼「ソーラン節」も正調でやれば、手踊りが似合う。だが、これも若い者向きにということで、徹底的に編曲が行われる「YOSAKOIソーラン」が大流行り▼ブラジルでもそうだ。正調ソーラン節など非日系人はもちろん、日系三、四世だって知らないのに「YOSAKOIソーラン」となると、〃出自〃などまったく関係なく飛びついてくる。世の中、若い者に受け入れられるために、でなければ進まないのか。(神)

04/08/04