7月30日(金)
「誰が主役の日本祭り?」――。先日大盛況のうちに幕を閉じたフェスチヴァル・ド・ジャポン(日本祭り)について、疑問の声が上がっている。日頃、日系とは縁の薄い多数の来賓が招かれ、日系色が極めて薄れた開幕セレモニーについて「あれじゃ州主催のイベントと思われる。せっかく県連が頑張ってきたのに」との声がニッケイ新聞社にも多数寄せられた。また、巨額のスポンサー料で協力してもらう手前、会場内の「一等地」には大手企業のブースがズラリ。「郷土食郷土芸能祭として始まった原点を忘れているのでは」と盲目的な商業優先主義に警笛を鳴らす県連関係者もいる。興行的には成功裏に終わった七回目の日本祭りを振り返る。
■薄まる日系色
「どうしてあんなに政治家ばかりが挨拶するのか。これじゃ州主催のお祭りだ」
日本祭りが終わった二十五日以降、ニッケイ新聞社に、このような電話がたびたび掛かって来た。二十四日昼にイベント広場で行われた開会式では、壇上前列にヴァウテル・フェウデマン連邦下議やマルタ・サンパウロ市長ら政治家が来賓として顔を並べ、軍服姿の軍人の姿もみられた。
舞台正面の最前列には日系来賓の姿はみられず、日本からの木村太郎農林水産大臣政務官と石田仁宏サンパウロ総領事こそ前列中央に座ったが、主催者であるはずの中沢宏一会長や田畑稔実行委員長の姿は後列に。開会式を見た宮原ジョルジ氏は「どうして県連の会長が一番最後に名前を呼ばれて壇上に上がるんだ。本来は最初のはずだ」と語気を強めて指摘する。
来場したジョルジ羽藤氏やウイリアム・ウー氏ら日系市議も、本来は壇上に上がる予定ではなかったが、本人たちの強い希望もあり、県連では急遽舞台に上がってもらったという。
また、日伯議員連盟会長を務める小林パウロ下議は体調不良で代理の出席者を送ったが、舞台に上がる事はなかった。
ある日系政治家補佐官によれば、「市長が式典に出席した時は、市議は壇上に乗らない習慣になっている。だから、最初は日系市議を上げなかったのでは。また、このような大イベントの場合、日系政治家だけを優遇すると、他から反発が出る可能性がある」という。
もちろん、会場は州議会駐車場を借りていることや州の観光カレンダーに登録してもらっている手前、日系色だけを打ち出す訳にもいかないのは事実。
しかし、「日系人の政治家や軍人はたくさんいる。せっかく県連が準備してきた日系のお祭りなのに、もっと日系色を出すべきだ」という意見は根強く、事実、複数の県人会関係者も首をかしげた。
さらに、招待状の署名も本来は県連会長名が先に来るべきところが、州議会議長名が筆頭となる不手際もあり、サンパウロ総領事館が指摘する一幕もあった。田畑実行委員長は「今年は選挙の年ということもあったが、やはり日本祭りはコロニアのイベント。来年は改善したい」と話す。
商業優先主義への懸念
課題を残したのは、開会式の政治色の強さだけではない。
会場入り口に立つ大鳥居をくぐり、誰もが心待ちにする「食の広場」と「イベント広場」に足を運ぼうとすると、まずトヨタやスズキ、バンコ・ド・ブラジルが宣伝のために設けたブースに行き当たる。
鳥居など日本的な構えにしたバンコ・ド・ブラジルやブラデスコはともかく、トヨタのブースは宣伝一色。しかも、すぐ近くのイベント広場の舞台で披露されている郷土芸能や歌唱の音響が打ち消されるほど、大きな音で宣伝音楽が流され、およそ日本祭りの一角には見えない。
もちろんトヨタは最多となる約十二万レアルの高額なスポンサー料で日本祭りを支えているのは事実だが、昨年まではこれほど「ショールーム化」したブースは少なかった。
初期の日本祭りを知るある県連関係者は寂しそうに呟く。「だんだん、違う方向性に行っているみたいで、我々の手を離れつつあるみたいだ」。
■会場の限界
県連によると三日間で四十五万人が来場した今回の日本祭り。好天に恵まれた週末ということもあり、特に「食の広場」は、終日混雑した。
「食べたら席を譲ってくれ」「いや、まだ他にも食べるんだ」
収拾のつかない混雑の中、家族連れで埋め尽くされた食広場のテーブル席には、幾度となくこんな怒号が飛び交った。
昼食時だけでなく、夜まで人の波が途絶えることがなく、文字通り「芋を洗う」状態が続いた。
各県の名産が一同に会する年に一度の機会ながら、ゆっくりと味わう余裕はなし。県連もうれしい悲鳴を上げる一方で「もうこの場所では限界かも。来年はまず場所の選定が議題になる」と話す。
また、大きなイベントでは欠かせないトイレ施設も来場者に見合う数ではなく、男女ともに長い列を作る光景がみられた。
コロニアの枠を越え、ブラジル社会に認知された日本祭り――。今年の課題を来年にどう生かすか。関係者の動向に注目が集まる。