7月2日(金)
「もしかして私の前世は、日本人?」。親日家といって、憚からない米・ジョージタウン大学のクリスティン・メイラさん(21、カリフォルニア州ハンティング・ビーチ市出身)が今年五月に来伯。「ブラジルの日系人女性」をテーマに研究活動を進めている。祖父は、原子爆弾の開発・製造に携わったが、孫は大の日本びいき。皮肉な巡り合わせになっている。
ハワイ・マウイ島。日本人旅行者も多い、この島の海岸に、メイラさんは幼いころ、ちょくちょく休暇を過ごしに出掛けた。マンネリ化に飽き、「外国をみたい」と両親に訴えた。十五歳のときだった。
「日本にいきたい」。古里、ハンティング・ビーチ(ロスから南に自動車で四十五分)の姉妹都市プログラムに応募。選考会で、そう希望を出した。
日本や米日系人には特に、関心が無かった。だが、ニュージーランドなどほかの国に比べて、競争率が低かったので思わず、口走ってしまった。
実は、メイラさんと日本との接点は太平洋戦争まで、さかのぼる。技術者だった祖父が、原子爆弾の製造チームに加わっていたのだ。「トップ・シークレット」だといって、多くは語ってくれなかった。
祖父は戦後まもなく、一家でドイツに飛んだ。「立場上、様々な問題があり、母はスイスのパスポートでアメリカに戻ったそうです」
日本では、寺院などを見学。愛知県内にホーム・ステイした。ちょうど、八月六日、九日の原爆記念日の近くで、テレビで特別番組が組まれるなどしていた。 「アメリカは、どうして原爆を投下しなければならなかったの?」。案の定、ホスト・ファミリーから素朴な質問を受けて、返答に窮した。
この一家自体は親切で、熱心に日本語などを教えてくれ、日本びいきに。帰国するのが嫌で、両親も娘が、日本にひかれる理由が分からなかった。
滞在中に知ったのが、デカセギの存在だ。女性は現場での作業から家事までこなし、「まるで奴隷だ」と初印象を受けた。後々、職場での性差別があることなど現実を認識。フェミニストであるメイラさんは、「日本そして、日系人の家庭」が気になってならない。
「顔かたちは日本人。でも日本語は苦手」。大学でブラジル日系人の知人から、そんな悩みを聞かされ、南米への関心はいっきに、募った。母国と同様、移民受け入れ国のブラジル。しかし、「アメリカには男性の単身渡航が目立つが、ブラジルは家族移住が主体」とずいぶん、様相は異なるようだ。
ブラジルでは人文研をはじめ、移民史料館や赤間学院などで自身のテーマを追究している。滞在は八月まで。その後、一年間、早稲田大学に留学。漢字や日本文学を学習、ブラジルに戻るつもり。
「私は美術関係好きで、将来はノグチ・イサムや大竹富江など米国・ブラジルの日系美術作家をテーマに書籍を刊行したい」。