7月1日(木)
ブラジルのサッカーとか、音楽とか。そんなテーマで書かれた本ならスンナリ受け止められる。でも、題名に「サンマとブラジル」とあったら? 「ぴあコラム大賞」を受賞するなどエッセイストとして活躍する山田スイッチさんの着眼はとてもユニーク。焼いたサンマをブラジルの路上で売り込んでみようとひらめき、その体験談を一冊にまとめるため来伯した。珍道中ぶりや、〃露天商〃の視線から垣間見えたブラジル人の素顔など、リオで奮闘する山田さんに聞いた。
テレビ番組の海外レポーターになろうと青森県から上京。原宿の街を隈なく歩き疲れたとき、喫茶店で食べたサンマ定食が忘れられない。サンマ、ご飯、コーヒーの三点セット。体の底から癒された。それがきっかけだった。
「結婚したらブラジルに渡って、サンマとコーヒーの店を開くんだ!」
でも、どうしてブラジルだったのだろう。「悩みのない国だなァと想像して。直感で昔から一番住んでみたいと思っていた」
もっと早い時期にブラジルを知りたかったが、「切符の取り方が分からずメキシコへ行ってしまった」ことも。この軽妙なオトボケぶり。お笑い芸人でならしていた時期もある。
東京では色々なアルバイトを経験した。板前になってサンマの焼き方を覚え、喫茶店でコーヒーの入れ方を学んだ。すべて大志(?)のためだ。念願の結婚も順調に果たし、夢を叶えるべく、夫婦でブラジルに来る日がやってきた。
二十匹の冷凍サンマを日本から持ち込んだ。サンパウロ市の東洋人街で買い足す算用でいたが、赤目の冷凍物しか手に入らず、断念。とりあえず、手持ちのサンマを抱えて旧市街レプブリカ広場へ。カメローにまぎれパタパタと炭焼き。懸命に素人商売するうち、日が暮れた。ポルトガル語で「あなたはサンマを食べたいですか」「日本のおいしい魚です」と書いた広告が功を奏したか、二匹を残し完売という上々の滑り出し。が、波乱もあった。
「警官の近寄らなそうな場所で売っていたのですが、あるとき周囲の物売りが一斉に持ち場を逃げ出して……」。一人だけポツンと取り残された。「わたしのことを商売人とは思わなかったのでしょう。警官は目もくれず通り過ぎていきました」
リオデジャネイロ。魚屋でサンマありますか?と尋ねたら、サーモンが出てきたりここでもサンマ捜しに苦労。ニテロイの魚市場まで出向いたが見つからず、エビとイワシに「浮気」した。気が付けば、肝心の二匹のサンマは、冷解凍を繰り返していたせいで、鮮度が落ちている。
「それでも珍しい魚に見えるらしく、コパカバーナの海岸で焼いてみたらみんな食べたい、食べたいと。ただ、提供するのはさすがにヤバイと感じて」、エビ、イワシをあぶり始めた。その瞬間のこと。突然、強風が吹き荒れ、商品は砂だらけに。「サンマにこだわれと神様が暗示してくれたのでしょうか」
六月九日から十七日までの「取材」期間で、ブラジル人の個性がみえてきた。外国人が見知らぬ魚を売っていても買ってくれる好奇心の強さ。旅先のイグアスの滝で味噌汁を無料で配布し好評を集めたのもブラジル人であればこそ。
「とにかくパワーがあって格好いい。明らかに車が飛ばしすぎなのに歩行者を引きそうになると、『なんで歩いているんだよ』と運転手が怒る。走行中に車の窓に果敢に売り込みに行く露天商たちの姿。生きていく力が強い」
来伯前、周囲から危険な国らしいとさんざん脅された。汚い格好で外出することを心がけたが、思い違いしている面もあった。例えば犯罪の背景について。
「食べることと生活することが密着しているので、ブラジルの犯罪には相応のモラルがあると感じた。食べるために盗むのはある意味仕方がない。むしろ日本の犯罪の方が悪質。経済的なゆとりのせいか、頭の中で変な犯罪を考えてしまっている」
直感通り、すっかりブラジルにほれ切った。ただ、問題はサンマ。ゆくゆくサンマ定食とコーヒーの店を開くためには活きのいいサンマが欲しい。
「太平洋ミニサンマがこちらを回遊していると聞いていたのですが、見当たらなかった。日本から仕入れることになっても将来はブラジルで商売したい」
ところで、本は二百ページを予定しているとか?
「書けますね、それくらいは」。ブラジルを「相方」にボケとツッコミ、硬軟織り交ぜられた風変わりな「ブラジル本」が、近く誕生しそうだ。
【プロフィール】
本名・中田聡子。一九七六年、青森県生まれ。テレビ番組「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターになることを夢見て上京。願い叶わず、二〇〇〇年にお笑いコンビ「しあわせスイッチ」を結成し翌年解散。その後、第一回ぴあコラム大賞を受賞。現在は青森に戻り、エッセイスト。著書に「しあわせスイッチ」(ぴあ刊)、「しあわせ道場」(光文社文庫刊)がある。