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日本文化普及に情熱燃やす=アマゾン上流で田辺俊介さん

6月15日(火)

 アマゾン流域の上流、ボリビアと国境を接するロンドニア州で、日本語を通して日本文化の普及に情熱をかけている一人の移住者がいる。宇宙ロケット発射基地のある鹿児島県内之浦町出身の田辺俊介さん(55)だ。
 五歳の時の一九五四年七月、妹二人とともに両親に連れられてグァポレ(現在のトレーゼ・デ・セテンブロ)に移住して来た。幼少の頃から両親と共に朝から晩まで働いた。当時は連邦直轄州で、同州への日本からの移民はこれ一回だけで後続がなかった。
 七二年に福島県西会津町生まれで同じ移住地にいた恵子さん(旧姓・須藤)と結婚して営農に拍車がかかったが、男児の後継者に恵まれなかったため、農業を断念して州都ポルト・ベーリョに転出して不動産業に就いた。
 顧客が増えてきた九八年頃、初期移住者の勤労の成果として〃ジャポネス・ガランチード〃が地域社会に定着し始め、日本語を学びたい、という住民の声が聞こえてくるようになった。
 これに応えるため、自宅を解放して日本語教室を開いた。受講生六人で始まった授業が口コミでまたたく間に二十五人に膨れ上がった。この時、不動産業が幸いした。管理していた空き家を教室にして日本語の授業を続けた。本業と慣れない日本語教師の二足のわらじは決して容易ではなかったが、受講生たちの熱意に背くことができない羽目に自らを陥れてしまっていた。
 そのような時に、知人がJICA(当時の国際協力事業団)ベレン支所に進言して、二〇〇一年にJICAから日本語教師が派遣されてきた。これを機会に日本語教室をニッケイ・クラブ(Nikkey Club)敷地内に建て、JICAから提供された教材、机、 黒板、辞書などが揃い日本語授業が本格化した。
 現在は六歳から六十一歳までの受講生五十人がいる。日本語教師二代目の日系社会青年ボランティア十八回生・盛岡歩美さん(三重県)は「皆さんは自分の意志で学びに来ているので、覚えが早く、教え甲斐がある」と笑顔を見せる。十一コースに分かれていて、一コマ九十分。月~木が一日二コマ、金曜日が三コマ、土曜日が五コマ、の授業を行っている。
 日系三世が一人ボランティアとして手伝ってくれている。受講料は月額二十レアルだ。ポルト・ベーリョには日本語学校がないため、ここが唯一の日本語に触れる場所だ。
 提唱者の田辺俊介さんは「日本語を通して日本文化と日本人の心を地元の人々に理解していただくことが重要だ」と断言する。日本語熱は、ロンドニア州への日本人移住五十年の誇るべき証しの一つのようだ。「だが」と田辺さんには不安が一つある。「日本語教師の派遣は二回まで」とJICA支所から言われていることだ。「歩美先生が来年三月に日本に帰られたら、また自分で授業を続けるしかないナ」と自問自答している。
 先達たちの勤労の成果として、ブラジルの辺境州に根づいてきた日本語熱を一過性にしてはなるまい。
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【ロンドニア州の日系人】日本からの移住者とは別に約三百の日系家族が住んでいるといわれている。その過半数が政府機関の公務員だ。その日系有志が一九九四年十二月にポルト・ベーリョにニッケイ・クラブ(Nikkey Club)を発足させて親睦をはかっている。非日系にも開放。今年は日本人入植五十周年であると同時に、ニッケイ・クラブ創立十周年だ。現在の会長はサンパウロ市近郊アルジャ市生まれで、ロンドニア州警副長官の池上モリオさん。