5月26日(水)
リベルダーデ歩こう友の会(高木ラウル会長)は二十二日、モジ市のイタペチ柿祭りにバス二台で駆けつけ、肌寒いながらも一日楽しく過ごした。午前中は同イタペチ区で最初に蘭栽培を始めたことで有名なコチア青年、芳賀七郎さん(七〇、宮城出身)を訪ね、生産設備を案内してもらいながら、経営の秘訣や移住に関する〃芳賀哲学〃に聞入った。
「みなさん、本を読みましょー! 僕らはポルトゲースも分らないから、せめて日本語の本を読んで勉強しないと。五十年前の農業やったって、儲かりっこないですよ」と芳賀節を響かせる。
「これからの近郊農業は有機栽培、減農薬の時代が来る。それを作ってもセアザでは評価されない。だから直販です。ここへ買いに来てもらうには、いろいろなイベントをして知ってもらわなくては」
オルキダーリオ(蘭園)は四ヘクタールの敷地があり、約二万平米の温室ではカトレア、ベンファーレ、デンドロビウム、バンダなど六種類を年間約四十万鉢生産している。「大きくしたらつぶれる。日本式経営で集約農業、家族労働でいい。家族一人が五人の労働者を使って三十人。その分、高い給料払ってみんなで儲けよう」という哲学を貫いている。
「日本人ほど苦労して一生懸命働く民族はいないと思うんだよ。でも、その割に恵まれない民族だとも思う。短期決戦の農業というか、最後に残るのは外国人。長期的な農業しないで、田んぼ作っても、それを捨てて、今は影も形もないところが多い。〃一所〃懸命同じ場所にこだわる発想が日本人には少ない」と自己批判する。
芳賀さんによれば、ミナス州モンテ・ヴェルデでは、バルト三国からの移民が広大な面積の針葉樹を植林し、今では高価な別荘地となっているそう。南部三州のポーランド移民集団地を見学に行った時も、「彼らは古い農業やってると、日本人はバカにし、すぐにトラクターとか買おうとするけど、実は彼らの方がとても豊かな生活をしていると思った。一つの場所に入ったら、彼らは出て行かない。その場所を良くしようと投資し、努力する」と考え方の違いを強調する。
だから、イタペチの若者には「どこへも行くな。村をキレイにしよう。俺たちだってカンポス・ド・ジョルドンにできるんだ」と常々語りかけている。
その発想により、三年前から独自のジャルジン(庭園)を作っている。友人から買った十アルケールの土地に、イッペー四百本、ツツジ千本、火炎樹、桜などの花木を計五千本以上植えている。その中に有機栽培、減農薬で作った花、フルーツ、野菜の直売所や、レストラン、展望台を作る計画だ。
「ジャルジンだって、自分の代に完成しなくてもいい。長期的な視点が大事。これからは若い人に頑張ってもらわないと。ハッハッハッ!」と、元気な〃芳賀ラッパ〃をとどろかせた。