5月22日(土)
鉄道開業百五十周年を迎えたブラジルには、鉄道にまつわるエピソードがたくさんある。そのいくつかを紹介しよう。
[ドン・ペドロ二世]
一八二五年十二月二日、当時首都だったリオデジャネイロのパッソ・デ・サンクリストーヴォンで生まれた後の皇帝、ドン・ペドロ二世は、ブラジルで最も鉄道開業を奨励してきた人物として知られる。同年九月二十七日には、イギリス初の蒸気機関車がストックトン―ダーリントン間を走行した。
[イギリス人に見せるため(Para ingles ver)]
ブラジルならではのこの表現は、鉄道から由来する。ブラジルの鉄道建設を融資したイギリス人たちは、定期的にブラジルを訪れ、鉄道の検査を実施していた。そこでブラジル人の鉄道経営者らは、イギリス人たちにベストコンディションの線路や鉄道施設のみを見せていた。残りの線路の建設状況は遅く、とても見せられるような状態ではなかったからだ。そこから「イギリス人に見せるため」という表現が、「悲惨な現状を隠して偽りの状況を見せる」という意味で使われるようになった。
[ブラジルと日本の鉄道網総距離は同じ?]
ブラジルの鉄道網の総距離は、日本の鉄道網のと同じである。これは何かの間違いではないか? いやいや、間違いではない。ブラジルが日本より二十二倍も大きく、しかも日本はサンパウロ州の中にすっぽり収まってしまうことを考慮すれば理解できるだろう。
[アメリカとの比較]
日本と違って、ブラジル国土の総面積とほぼ同じ大きさの広い国土を持つアメリカ合衆国。だが同国の鉄道網の延べ距離はブラジルの十四倍。しかも、ブラジルと同じく道路網も非常に発達している。この差は一体…。
[サッカー]
サッカーは鉄道によってブラジルに輸入されてきた。ブラジル初の試合は一八九五年四月二十日、サンパウロ市のヴァルゼア・ド・カルモで行われた。現在パルケ・ドン・ペドロ・セグンド(ドン・ペドロ二世公園)のある場所である。
試合したサンパウロ・レールウェイ(SPR)とサンパウロ・ガス・カンパニーは、両方ともイギリス資本系企業のチームだった。
ブラジルにサッカーを導入したチャールズ・ミラーは、サンパウロ市ブラス区に住んでいたイギリス人鉄道員の息子。ロンドンのバニスター学園に留学し、サッカーボール一個とユニフォームシャツ二枚を持ってブラジルに帰国した。
ブラジルには現在でも、「……鉄道」という名称のサッカークラブが数多くある。
[サンパウロの鉄道と護憲革命]
一九三二年革命(通称、護憲革命)中、サンパウロの鉄道は決定的な役割を担っていた。革命軍はサンパウロの鉄道を利用して、七十五口径の大砲付き防弾列車で政府軍を攻撃していた。「Capacetes de Aco(直訳=鋼のヘルメット)」の著者、サムエル・バッカラットは、「敵兵(政府軍)はパニック状態だった。丘陵から転げ落ちるようにして逃げていった」と、政府軍兵士らが恐れた兵器の威力を記述している。
(エスタード・デ・サンパウロ紙五月二日)