5月4日(水)
「留学生・研修生の日本語能力が、低下している」
九〇年代初め。日系二世、三世自身の間から、そんな危機感が大きくなる。
都道府県の多くは、年間一人当たりに数百万円を歳出して、留学生・研修生を受け入れている。日本語が分からず、初期の目的を達成出来なかったというケースが出始めたのだ。
日本側は〃投資効果〃が上がらないと、懸念。選考に当たって、相当の日本語能力を要求してきた。
これに対してアセベックス(=asebex、留学生・研修生OB会)が現状と課題を議論、ブラジル日本文化協会(上原幸啓会長)に協力を求めた。
「訪日するための準備として、日本語講座を開設してほしい」
日本文化の普及につながる上、収入源にもなることから、文協側も関心を示した。
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中心になって動いたのは、私立ロベルト・ノリオ校校長の山内和子さん(二世、六二)。今も、文協日本語講座で教壇に立つ。
大学で教育学を専攻。大谷学園大学に留学したのをはじめ、JICAや国際交流基金の訪日研修にも応募。日本語教育に造詣が深い。
「ブラジルでは、十年日本語を勉強しても出来ないという声をよく聞く。もっとスピードをつけて、学ぶ方法があるはずだ」
そんな疑問を長年、持ち続けた。新宿日本語学校(東京都)の「江副式」に出会ったとき、「これだ!」と思った。
「まず会話から入って、面白くなってきたところで文法を加えていく。実用的な教え方で、初日からすぐに使えるんです。もちろん、留学生OBからも好評を得ていました」
江副隆愛・隆秀さん父子はともに、JICA派遣の専門家としてブラジルに滞在した経験を持つ。教授法を参考にしたいという依頼が山内さんから舞い込んだとき、二つ返事で承諾したという。
九三年八月からその年の暮れまで、試験的なクラスを設置。日本語を全く解さない人にどれだけ成果が表れるかを確かめた上で、翌年の新学期から、本格的な授業をスタートさせた。
文協ビル地下のアセベックスの部屋を仕切る形で、教室をつくった。「あっという間に生徒が増えた」ので、教室が不足。倉庫のような場所も利用せざるを得なかったという。
JICAが文協ビルからパウリスタ通りに事務所を移転。それに伴って、同ビル六階に入居した。と同時に、ブラジルの有力紙エスタード・デ・サンパウロに生徒募集の広告を掲載。需要の掘り起こしにも成功した。
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当初の期待通り、文協の収入源になったはずだったが、なぜか、今年七月一日付で日伯文化連盟(槙尾照夫会長)に無償譲渡されることになった。
「ほかの学校・団体との競合は、避けたい」。四月二十三日に行われた記者会見で、文協トップは、そう大義名分を強調した。ついぞ、〃本音〃は明かにされなかった。
「首脳部に不信感を抱いて、退職した先生もいます」と山内さんは苦々しい表情を見せる。日文連への注文は――、「一人でも多くの人が面白く日本語を勉強してもらえるなら、文協、日文連のどちらが主でもかまわない。ただ、せっかく『江副式』を導入したのだから、絶やさないで続けてほしい」。 つづく
(古杉征己記者)
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