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日本の若者ブラジルで将来を模索(2)=市原裕子さん(23)=デカセギ帰国子弟と交流=国際学級で指導したい

3月25日(木)

 〇三年十月、「外国人の子どもの教育環境に関する実態調査~岐阜県可児市の試み~」が発表された※。外国人子弟の中学校入学時(一三)には一〇%に満たない不就学子弟。が、一年後の中学二年(一四)にはおよそ二三%にまで割合が上昇する。教科担任制で専門的になる中学校、対応出来ない子弟が増えるのが要因と考えられている。子弟への教育支援は急務だ。
 外国人子弟を相手に「学校の国際学級で指導したい」と意気込むのは、市原裕子(二三、愛知県出身)。ブラジル日本交流協会(山内淳会長)の研修制度で昨年四月から来伯し、アルモニア学園(松田ヒロコ校長)で研修した。
 「距離を作らないように親しく話し掛けるようにした」と語る。市原は、昨年まで週二回の日本語授業で、補助的な役割を果たしながら、帰国子弟八人との交流を深めた。テストの時には、ポ語の試験問題を日本語に訳して答えさせたりもした。数少ない日本語の分かる教師の市原と子女との距離は縮まった。
 子弟たちは、幼い頃から日本に行ったため日本語の方が得意だ。出稼ぎの環境が重なり、日本でも満足な教育を受けられなかった。ブラジルでもポ語での授業に「勉強が分からなくてつらい」とも漏らす。
 「学校生活になじめないところはある。でも、ダンスが彼らを支えている」。市原に、ダンスに熱中する二人が話し掛ける。一人の男子がさり際に一言「先生はオッチモだぜ」。
 「教師は、学校ではなく、学校後の家庭教師の収入が高い」とある州立中学教師は明かす。州立小学校教師は「一日四時間、週二十時間、勤続二十年の大学卒でおよそ九百レアル」と待遇を説明。「責任や勉強量の割に給料は安い」のが現状だ。
  「親の教育権が強く、学校が気に入らないと(親の権限で)いきなり生徒がいなくなることもある」と市原。前出の小学校教師も「親の給料未払いなど経済的な理由転校は多い。教育への関心も薄い」と漏らす。繰り返される転校と関心の薄い親―。子弟の現状をうかがい知ることが出来る。
 「(子弟窮状の)要因は、親が相談に乗らないブラジル教師のイメージを、日本でも重ねるからなのでは」。市原は言う「出稼ぎの子どもたちを、教師にもっと任せて欲しい」。
 市原は大学入学時から、「将来は何らかの国際的な仕事につきたい」「どんな形でも言いから、学校と関わっていきたい」との二つの考えがあった。大学卒業と同時にブラジルに飛び立ち、同学園に入ったのは必然の流れだった。
 今年から幼児科に配属。午前七時半、朝の正門への出迎えから、昼寝の世話、午後五時まで忙しい一日を送る。「学園では子どもとの肌での触れ合いの大切さを学んだ。日本でも生かしたい」。日本に帰国後、教員採用試験をめざし日本教育現場に挑む予定だ。(敬称略)
    (佐伯祐二記者)
※日本の厚生労働省「多民族文化社会における母子の健康に関する研究」班ら作成。

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