3月25日(木)
「百周年なら、みんなが参加できるパレードが一番!」。宮原ジョルジェさんは二十三日午後来社し、自身が副理事長をする熊本文化交流協会と、副会長をする相互援助協会の名前で、十五日夕方に百周年記念祭典協会に独自の記念事業案を提案してきたことを報告した。
「ブラジル国民にとって、一番大事な催し物はカーニバル。だったら、日本人とその子孫だけのパレードを結成して、百周年ということで特別にパレードしたらどうでしょうか」というにぎやかな提案だ。
しかも、カーニバルの映像はグローボ国際放送を通して世界九十八カ国に配信されている。「日本舞踊、ヨサコイ・ソーラン、各文協や日本人会、県人会など、みんなが隊を作って、一つのパレードを作るので、お金があまりかからないし、カーニバルの費用は市が半分負担してくれます」と利点をあげる。
笠戸丸の山車を先頭に、日系人のブラジル社会への貢献を象徴する山車を連ねる。
宮原さんは「カーニバルは二月なので、その時に作った衣裳を使って、六月の移民の日にアニャンガバウーでパレードをするのです。そのまま、アニェンビーまで行進し、あちらの展示場では日本企業の見本市や日系農家の農産品展、コンベンション・ホールでは芸能祭をやります。県連の日本祭りをそこで一緒にやってもいいのでは。最後は駐車場で、岐阜新聞社が持ってきてくれる花火大会で最後を飾るのです」と大きな〃夢〃を語る。
資金面に関しては、「我々はブラジル社会にすっかり根を下ろし、この国の発展に尽くしてる。資金援助はブラジル政府や、日系企業にお願いし、いいかげん、日本からの援助をあてにする発想は辞めた方がいい」と歯切れ良い。
今までにない式典当日の記念事業案。斬新というか、奇抜なアイデアがちりばめられたプロジェクトだが、プロジェクト委員会の採点はどのようなものだろうか。