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ピメンタ植林〝両立〟へ=アマゾン河口で高倉さん=試行錯誤続けながら=見返りは20~30年後

3月17日(水)

  パラー州ベレンの近郊でチーク(テッカ)やマホガニ-(モギノ・アフリカーノ)を中心に、大規模植林に取り組んでいる日本人がいる。新潟県出身の高倉道和さんだ。

 十歳の時の一九五四年、兄たちと一緒に両親に連れられて「あふりか丸」でトメアスーに移住してきた。四人兄弟の末っ子で、当時は移住の意味さえ十分に分らなかった、という。移住して五十年目の今年、還暦を迎えた。新しい夢をかけて、六九年にベレン近郊のSant Antonio deTauaに移転した。
 そこで、同じ年(五四年)に両親に連れられてアマゾン川沿いにあるモンテ・アレグレに移住してきた山口県出身の藤山泰子さんに出会った。七〇年七月に二人で独立して、二人三脚で黒胡椒(ピメンタ)や野菜栽培に取り組みを始めた。
 自然の変動には勝てずに、七七年には全滅の憂き目に遭った。が、夫婦の力で苦境を乗り越え、徐々に黒胡椒、ココナツヤシ、油用ヤシ(デンデ)、パパイヤ(マモン)、養鶏、放牧など複合農業を軌道に乗せて現在に至っている。
 一段落し、世界の潮流である環境保護のためには植林が必要であることを痛感し始めた二〇〇一年に、サンパウロ州ジャカレイ市にあるコチア農業学校を訪問した高倉さんは、そこに経団連自然保護基金(本部・東京)の助成で設立された環境教育センターがあり、南米諸国からの農業研修生たちが植林にも取り組んでいる姿を見て決意を新たにし、Tauaに戻ってすぐに植林を始めた。
 黒胡椒と両立させる植林、ココナツヤシと両立させる植林、油用ヤシと両立させる植林、チークやマホガニ-だけの単独植林、など工夫を重ねながら、二年間で二万数千本の植林を完了した。高倉さんは「幸いに順調に育っています。が、見返り(収入)を得るのは二十年、三十年後となります。その間の(収入の)つなぎを考えないと、個人が取り組む植林は長続きしませんよ。たとえば、木と木の間にカボチャなどの即効性のある換金作物を植える、など模索を続けています」と理想と現実の問題点を指摘する。
 試行錯誤を続けながらも、今年は一月にチーク苗木を百ヘクタール植えた。南米大陸で日系人同士の協力も重要だと考えて、コロンビア日系人協会(町田栄会長、本部カリ市)の相談に応じて、二年ほど前に同協会の関係者二名を招いて黒胡椒(ピメンタ・ド・レイノ)の苗木確保に協力した(本紙・二〇〇一年九月二十九日既報)実績も持つ。
 アマゾンは環境の宝庫ともいわれている。その地域で、国際化にも理解を示しつつ自然との共生を視野に入れながら行動する日系農家がいる。