コラム ALIGN=”MIDDLE” BORDER=”0″>
二十時間、三百六十六キロ。ボリビア国境のグアジャラミリンからポルト・ベーリョま熱帯雨林をひた走る汽車がむかしあった。
文協バザーで購入した「アサヒグラフ」一九七〇年四月号の<南米汽車ポッポの旅>で初めて、そのマデラマモレ鉄道のことを知った。日本からの特派記者は乗車の途中、大雷雨に襲われそして書いている。「キモがひるがえる思い」だった、と。
そんな苛烈な自然環境に臆せず、日本人移民はポルト・ベーリョ郊外で農地建設に取り組み「農学者の日」である「九月十三日」と名付けた。ちょうど五十年前のことだ。
<汽車ポッポ>にある「忍耐の限度でやっと市街地」との感想なぞ、いまみてもケッてなものだ。鉄道を敷設した業者にも、大アマゾンの真っ只中にも同胞はいたのだ。(大)
04/03/17