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肥沃の大地北パラナを行く(一)=県連ふるさと巡りの旅=すでにカフェ樹海なく=大豆とカンナが主体

3月16日(火)

 県連(中沢宏一会長)主催の「第十九回ふるさと巡り、北パラナ編」が四日から九日まで実施された。
 訪問先はパラナ州北部のコルネリオ・プロコピオ、ロンドリーナ、ローランジア、ゴイオエレ、ウムアラマ、マリンガ。
 四日午後十一時すぎに、南雲良治新潟県人会々長を団長として、百十八人の一行を乗せた三台のバスは、カステロ・ブランコ街道をひた走り、州境のオウリーニョス市手前のポストで休憩。カンピーナスから参加の山本英雄さんが、ポツンと一人で奇妙なヤンクー(太極拳)体操しているところに、輪ができ、教えを請う人と一緒に体操をした。
 バスは国道BR三六九号を走り、翌朝七時コルネリオ・プロコピオに着いた。 立派なホテルで朝食を取った後、インスタント・コーヒーで有名なカフェ・イグアスー社を訪問した。
 一九六七年創業の同社はストックのできない余分なコーヒーをインスタント・コーヒーとして商品化することに着眼した。一九七二年輸出部門強化のため、丸紅と資本提携、業績が飛躍的に向上、今では二十カ国に輸出している。
 同社の従業員は九百人、売上高二億四千万レアルで、インスタント・コーヒーの国内シェアは二五%。品質管理にISO九〇〇一、環境保全、公害防止にISO一四〇〇一、労働安全に、OHSAS一八〇〇一を取得しており、高品質商品の開発に投資を集中している。
 この日の交歓昼食会には同市文化体育協会(前田マルエ会長)の母の会が丹精込めて作った巻き鮨、チラピアの刺し身、煮物など一同のおなかに吸収された。 前田会長自らマイクを握り、中沢会長の「さんさしぐれ」、指宿有さんの「詩吟、塩山」で場を盛り上げた。
 北パラナの開拓史のページを少し開いてみると、パラナの開拓は一九二〇年代中頃からで、盛んに同地域の肥沃なテーラ・ロッシャが宣伝され始め、入植、開拓、そして「カフェの北パラナ」と発展した。カフェが北パラナで盛んに植えられのは、時のヴァルガス革命政府が発令したサンパウロ州内のカフェ新植禁止令であり、パラナ州は除外されていた。それと同時にパラナ州の開拓が遅れていたために、開拓奨励の意味もあった。
一九二六年に、北パラナ開発を目的としてパラナ植民会社が設立され、ピラボー河及びイヴァイ河一帯の官有地五十五万アルケールを買収し、そこに日本人部ができ氏原彦馬氏が支配人として、日本人農家の北パラナ導入を図った。植えられたカフェの生育ぶりが宣伝文句になり、サンパウロ州から続々と移住してきた。そして原始林は伐採され、テーラ・ロッシャの沃土は緑のカフェ樹海へと変化していった。
 しかし一九七五年の大霜害で北パラナのカフェは全滅、殆どの農家は転作した。今は大豆とサトウキビ栽培が殆どで、カフェ樹海は見られない。
 バスは次の訪問地ロンドリーナに向けてコ・プロコピオ市を後にした。(つづく、大角総丙記者)