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コラム 樹海

 ドイツ軍が開発した猛毒サリンを一躍有名にしたのは一九九五年三月二十日に東京の地下鉄で起きたオウム教団による大殺戮事件であった。劇薬サリンを知る人々は極めて少ないが、あの惨事では十二人が死亡し多くの犠牲者が出て大混乱になり世界中を驚かせたの記憶が今も残る。その首謀者・松本智津夫被告に死刑の判決が下りた。小泉首相も「あれだけの大犯罪だから、死刑は当然だ」と語ったが一般の国民も同じ感想であったに違いない▼オウムが関係した殺害事件は、この他にもある。坂本堤弁護士一家を始めとし二十七人が死亡しており、これほど大掛かりな殺人事件は極めて少ない。これが麻原彰晃を名乗る松原被告の指示で行われたのは七年十ヵ月の裁判で明らかだし、その凶悪性も凄い。一連の事件では松本被告とオウム教の幹部ら十二人が死刑判決を申し渡されているけれども刑事事件でこれだけ多くの被告が死の宣告を受けるのも珍しい▼それにしても、オウム裁判は多くの問題を投げかけた。宗教と社会との関係についても考えさせられる。裁判長は「宗教団体の装いを隠れ蓑に、日本国を支配する王になろうという、浅ましく愚かしい限り」と断罪したが、これだけで済むものなのか。オウム教団幹部には大学生などの「知的」集団が多かったのも謎とされる。教科書的な知識は豊かすぎるほど豊かなのだろうが、逆に言えば単純であり世の常識を欠いていたのではないか▼裁判の長期化にも批判が集中した。これは弁護団の責任でもあるのだが、常軌を逸した弁護作戦は謹むべは申すまでもない。それが被害者と遺族への心くばりと言うものである。 (遯)

04/03/02