2月19日(木)
清谷益次、小野寺郁子の両氏が本紙ニッケイ歌壇(前パウリスタ歌壇)の選者となり先月で丸十年が経過した。この間、投稿者の顔ぶれや、詠み歌の内容にどんな変化がみられただろうか。二氏に聞いた。
本紙の創刊は九八年三月。同時にニッケイ歌壇も誕生しパウリスタ歌壇(パウリスタ新聞)の選者だった二氏がそのまま継続した。投稿者の数が次第に増え同年十月から月二回に分けて掲載、今日に至る。
清谷さんは「過去のどの邦字紙の歴史をみても、いまほどスペースを頂いていることはない。申し訳ないくらい」と話す。「短歌、俳句の愛好者が一番最後の邦字紙の読者になるとはよくいわれますが……」
投稿者は四十から四十五人の間を推移している。平均年齢は八十歳前後。戦後移民はほとんどいないが、二世は五、六人混じる。
「新聞歌壇の男女比は半々じゃないかな。『椰子樹』(コロニアの短歌結社)は三分の二が女性だけど。このくらいの年になると何かを言っておきたいという気持ちがあるものなんだ。男でも女でも」
最高齢は九十六歳の金子お利(り)さんで毎月熱心に投稿してくる。グァラーの桜井正巳さんは、二氏が選者に就いたときからの常連。それでも小野寺さんによると、「十年前と較べると、ベテラン投稿者の半数近くの人が亡くなった」
ほかのコロニア文芸同様、作者の大半は準二世。 「小学校を卒業するかしないかの年端で来伯。戦中はブラジルで日本語教育を禁止された時代を過ごし日本語もままならなかった。そういう人たちが歌を詠んでいる」。日本では短歌専門誌の投稿者の多くが、高卒か大卒の高学歴者であるのとは対照的だ。
「ただそのレベルとなるとブラジルもそうは低くない」と清谷さんが言えば、小野寺さんは「確かに技巧は望めませんが、真心のこもった魂の歌だと思います」
どのような歌が目立つか。望郷の念はいまも?
「移民の苦労や望郷を詠んだ歌はだんだんと減っていますね。むしろ現在の境遇を幸せに感じているようです。趣味に生き、孫ひ孫の成長を喜ぶ。そんな明るい内容の歌が多くなってきています」
清谷さんもうなづいて、「ブラジルでの生活をいま納得しているわけだな」と応じる。「短歌を指導するとき、必ず自分の精神の歴史だと思って創りなさい、とアドバイスしている。いまのはやりで言えば『自分史』なんですね、短歌は」。