1月30日(金)
今回の〃お家騒動〃を聞いたある県人会の副会長は、「法律法律っていう人はいるが、厳密にやるのは不可能に近いんだ。それに、やっぱり親睦会なんだから、まず第一は仲良くやること、その次が法律、ってところが現実的じゃないか」と感想を漏らした。
宮城県人会の中沢宏一会長のやり方への不満が積もり積もって、何をキッカケに火を噴いてもおかしくない状況が続いていた。今回の「法律を盾に」というのは、単なるキッカケに過ぎない。それが、騒動の背景にある構図のようだ。人間関係さえ良好なら、少々の問題や矛盾は、どこの県人会や団体も抱えている。ならば、中沢会長の何に対して、不満がたまっているのか。
佐藤さんは言う。「中沢会長の独断専行、非常識、倫理観、道徳観の欠如によって、県人会の民主的な運営ができなくなっている」。
本来の問題点は法律ではなく、反対派とも協調しながら物事を進める態度、いわば〃懐の深さ〃が問題とさているのではないか。
身内である佐藤吉之助副会長でさえ、「我々だって、中沢会長がもの事を勝手に決めたりすることは良くないと思ってる。延期された定期総会が来月二十九日に行われる、ということも事後承諾で聞いた。我々に相談はなかった。でも、僕たちは中沢会長を推しているんだ。他に誰がやってくれるというんだ」と心情を吐露した。
「独断専行的なやり方に批判があるようだが、どう思うか」との問いに、中沢会長は「自分が独断でやってるとは、まったく思えない。だいたい、県連の方が忙しくて、県人会のことは執行部に任せているような状況です。独断どころか、県人会に来ないとの批判が多いくらいだ」と答えた。
芳賀七郎さんも、やはり中沢会長のやり方は独断的であると感じ、「県人会だけじゃなくて、戦後五十周年の時も、そういうことがあったと聞いている。自分は正しいと思っていても、数多くの人から見たら違うこともあるんだよ」と考えている。
中沢会長がトップとして君臨する県連の関係者、戦後五十周年の関係者ら数人にも質問したが、異口同音に、中沢会長の行動力や意欲、就任してからの成果を十分に評価しつつも、独断的行動を否定しなかった。「もっとみんなの意見を聞いてから行動しなくちゃ、誰もついていかなくなる」とは、その代表的な意見だ。「企業じゃないんだから、トップダウンの運営はそぐわない」という人もいる。
中沢会長に聞いてみた。「独断的だという批判が向けられる原因は何か?」。
「それは、私が戦後移住者の中でも一番末っ子で、コチア青年でも末っ子だからではないでしょうか。自分で言うのもなんですが、末っ子があんまり表舞台に立つもんだから、風当たりが強いのではないでしょうか」と六十歳の〃末っ子〃は分析する。
佐藤八朗さんは繰り返す。「今まで何度も抗議し、その都度、話合いを持って謝ってもらったり、書面で残してきたけど、全然改善しないんですよね」と。一見真面目に話を聞いているようだが、実は聞き流しているのではないか、と不信感を覚えている。
二十九日朝、来社した中沢会長は一連の報道に触れ、「大きなことをやろうとすれば、時には一部の人間だけで進めることも必要なんです。どうしても意見の合わない人は、切るべき時には切る」と訴え、今までのやり方を変える意思がないことをほのめかせた。
中沢会長支持者の中には、「彼ぐらいの強引さがなきゃ、物事は進まないよ。きれい事ばっかりじゃ、時間がかかるだけ。執行部にある程度の権限を与えなきゃ、何事も進まない」と強調する人もいる。
佐藤八朗さん自身は会長に立候補するつもりはない。「僕にもいろいろ事情があってできない」。加えて、中沢会長のことは十分に評価している。「ただ、明朗な会計、定款の遵守。それさえやってくれるなら、ぜひ続けてもらいたい」と認める。「でなければ、別の候補者を立てるしかない」。
「独断先行」と「行動力」は、同じコインの裏表だ。性格の同じ一面が、ある人には肯定され、他の人には批判される。
親睦団体のリーダーには「やり手」である以上に、「懐の深さ」も求められる。どちらも不可欠な要素だが、そのバランスが崩れているようだ。周囲の要望に答えられない限り、同じ性質の問題を、県連でも、百周年祭典協会でも、繰り返す可能性がある。
中沢会長は今、正念場を迎えている。
(深沢正雪記者)