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サンパウロ市制450年(4)=50年に初テレビ放送=カメラ1台故障のまま開始

1月23日(金)

 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙十三日】一九五〇年九月十八日午後六時から同十一時まで、ブラジルで初めてテレビ放送が実施された。だが、生放送の数時間前、二台しかなかったテレビカメラの片方が故障し、「放送するか、断念するか」という事態に陥っていたことを知る人は少ない。今回のフォーリャ紙特別企画「わたしはあの時あの場所にいた―サンパウロ市制四百五十周年記念特集」は、女優のヴィーダ・アウヴェスさん(七五)に、生放送時の舞台裏について語ってもらった。
 ブラジル初のテレビ局はトゥピーTV局である。当局はオメーロ・シウヴァ司会のバラエティー番組「TV・ナ・ターバ」の生放送を企画。俳優リーマ・ドゥアルテや、現在SBT局所属司会者のエーベ・カマルゴなどの有名人が出演する予定だった。
 ヴィーダさん本人は当時、妊娠八カ月(日本では九カ月)の体だったので、テレビ出演は控えた。「あの頃、大きなお腹でテレビに出るのはエレガントではなかった」と話す。彼女は一年後の一九五一年、テレビドラマ「スア・ヴィーダ・メ・ペルテンセ(あなたの命はわたしのもの)」で、ブラジルのテレビ史上初めてのキスシーンを演じた。
 舞台裏で歴史に残るべき瞬間を一目見ようとスタジオへ現れたヴィーダさん。ジョッキー・クラブでのパーティー、サンパウロ州知事の演説、司教のミサ・・・。米国から輸入されたRCA社のカメラが一台壊れた時にはすでに、生放送に向けて、すべての準備が整っていた。
 「もう、スタジオはパニック状態よ。機器の操作サポートのため来伯していた米国人技術者は、放送が大失敗となる可能性が高いので放送をやめるようにと必死に説得した。でも、ディレクターのカシアーノ・ガーブス・メンデスは断固として続行の意思を崩さなかった」。
 そして、たった一台のカメラを使って生放送を決行。アドリブを盛り込んだ「TV・ナ・ターバ」はブラジル人のお茶の間を飾った。「生放送が何なのか、どういうものなのか、それまで誰も知らなかった。ちょっと覗いても大丈夫だろうとまで思っていたわ」。
 放送機器一式は五〇年三月二十五日、サントス港から輸入された。トゥピー・ラジオ局関係者らが引き取り、サンパウロ市まで運んだ。
 ブラジルは米国、英国、フランスに続いてテレビ放送を始めた国だ。「ブラジル中がこのニュースに心を躍らせた。とても近代的な出来事だった」。
 生放送には成功したが、もう一つ問題があった。「この番組は毎日放送されるもの。明日の放送内容を考えておくのを皆忘れていたんです」。翌日は、大学や図書館へ行って資料探し。教育的な映画を見つけて放映した。