短歌誌『椰子樹』三〇九号(〇三年十二月号)の片隅に「(投稿する前に)もう一度お手元の作品を見て、各自が推敲して下さいますよう願っています」という記述を見た▼表現はやわらかいが、言っていることは厳しい。椰子樹の会員たちは、常々互いにこうして研鑽し合っている。多くが熟年世代である。短歌というものが〃共通項〃でなければ、なかなかこうはいくまい。生涯現役で勉強、の見本である。あやかりたいものだ▼三〇九号に掲載された題詠は「紫・むらさき」だった。担当者はつぎのように後記を書いた。「紫」は作り易かったのか、多くの作品が集まりました。作り易いといっても佳い作品が出来るとは限らないらしく、類似の作品や推敲不足のものがあって、残念ながら何人かの作品は削るほかありませんでした――▼椰子樹だけでなく、短歌のグループのなかには、月例会の席上、作品相互批評を徹底的にやり遂げているところがある。下世話でいう人身攻撃ではない、あくまで佳歌をつくりあげるための作業である。批評によって、お互いが成長するのである。熟年になって成長があるのは、こういう世界だけではないだろうか▼「紫・むらさき」で選ばれた五十九首のなかから二首紹介する。「この年もジャカランダ紫にけぶり咲く不意に想えり移民の涙を」(上妻泰子)、「ミナス路にペドラ・アズールの地名あり紫水晶の産地なりしか」(古屋泉)。ブラジルや移民を詠んだ歌は身近に感じる。(神)
04/01/16