2003年1月1日(水)
一人の優れたリーダーをというよりも、様々な分野に才能をもった人材を集めた《集団的指導体制》を確立する方が、現実的だろう。
日系団体はいま、その組織力を統合、集中するべき時期に来ている。状況の変化に対しては絶えざる《自己革新》を図る必要がある。
すぐに合併と急がなくとも、横のつながり=交流を築くことから始めてみてはどうか。
各団体とも人、カネ、アイディアの不足で慢性的なマンネリズムに陥っている。この調子では、とても百年祭事業を満足に成し遂げることが出来ない。対日本、対ブラジル社会への影響力低下も必至だ。限られた人材と資金を一本に束ね、エネルギーの一極集中化を目指したい。
周囲を見渡しても、リーダーらしい人物を見出すことは困難だ。戦後、日系社会のリーダーは二人いたというのがわたしの意見で、それは山本喜与司と、鈴木悌一だった。
大きな使命感と、滅私奉公の精神―が指導者の条件だと思われるが、二人はこれを満たしていた。
山本は戦後の混乱を乗り越えて、コロニアを一本にまとめあげた。日伯文化普及会を設立。そのトップにはブラジルでも一線級の人物を据えた。あと五年、長生きしていたなら、いまのコロニアは変わっていただろう。
これを継いだ教養人が鈴木だった。資産凍結解除に奔走し、日系人実態調査を手掛け、サンパウロ大学日本文化研究所を作った。山本には東山のバックアップがあったが、鈴木は孤軍奮闘だった。
この二人は、自分の家庭を顧みる暇さえなかったのでないか。小市民的な幸せを甘受している世代に彼らのような《こころざし》を抱くことは容易でない。
◇文協は今、経営理念の再追求=改めて問う=日系社会の新リーダー像