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コラム 樹海

 さきのフィナードス、バウルー中央墓地の納骨堂で先亡者追悼法要が行われた。現地通信のなかで、いい話だと思ったのは、遺族らしい人が訪ねてきて、先祖の遺骨の管理ぶりを知り、安心して帰って行く、のくだり。日本人会の人たちの誠心誠意のほどが偲ばれ、日本人社会の人情未だ朽ちず、と意を強くする▼死ねばあとは何をしてもらったところで、どうにかなるものではない、こういう考え方はある。これはこれでわかるような気がする。バウルーの場合は、気にはなっても、実際手を打てない、あとに残された遺族が、最高の状況で先祖の遺骨を保管してもらい、ていねいに供養してもらっていることに、感謝した、というあたりが、ほかと違うのである▼そうした行為を、するのが当然といったように続けている、バウルーの納骨堂管理者たちはすばらしい。おそらく、現地の役員たちは、ほぼ全員が代替わりしているにちがいない。準二世と二世だ。開拓に従事した一世たちは、〃同志〃を悼むのはごく当たり前とし、毎年供養の祭りを行った。その背を見て育った。行為がそっくり引き継がれている▼サンパウロ州、パラナ州など日系人が多い土地ではこうした話はまだたくさん埋もれているのではないか。宗旨はなんであれ、自発的に、なんら報酬を求めることなしに、死者となっても〃恵まれていない〃人々を遺族に変わって慰めようとする、その気持ちがなんともいえないほど貴いと思うのだ。(神)

03/11/19