ホーム | 日系社会ニュース | ロベルトさん31歳、初アルバム=20年前、イタクアで路上生活=両親と離別したデカセギ少年=ヒップホップ鮮烈デビュー=「私から教訓学んでほしい」

ロベルトさん31歳、初アルバム=20年前、イタクアで路上生活=両親と離別したデカセギ少年=ヒップホップ鮮烈デビュー=「私から教訓学んでほしい」

11月15日(土)

 幼少時代、ブラジルで路上生活を送り、若くして日本へデカセギに行った日系人が、ヒップホップ・グループとして列島に鮮烈デビュー――。サンパウロ出身の若者の成功秘話を八日付、インターナショナル・プレス・オンラインが報じている。
 ロベルト・イシカワさん(三一)は約二十年前、サンパウロ市イタクアケセトゥーバで路上生活を送っていた。生きるためにサンパウロ市の郊外電車内で菓子を販売し、段ボール紙を探して歩いた。仲間は麻薬中毒で死ぬか、刑務所送り。空腹に耐えかねず、地獄を見る毎日だった。
 「母親に家を追い出され、路上で暮らしていた」とロベルトさん。「負けん気の強い性格だった。いつも、間違いを正したかったが、その間違いの一つが母親、五人の子どもの世話をしきれなかった人だった」と語る。ロベルトさんがほかの路上生活児と違うところは、戻る家があったということ。そして、麻薬に溺れることもなく、窃盗もしなかったことだった。
 父親はというと、「彼は日本人。理想の家族像を夢見ていた。早々に家を出てしまったが、私にとって彼はいつも英雄だった。私たちに多くの教訓を残してくれた」という。
 悲惨なロベルトさんの人生に転機が訪れたのは、十七歳、日本行きを決めた時だった。以来、十四年間、ほかのデカセギたちとともに工場で働いてきた。
 一年前、ロベルトさんは二人の妹、ローザさんとローゼさん、友人のファビオ・イケガミさんとともにヒップホップ・グループ「天才S MCs」を結成した。その後、日本人グループ「ホッチ・ポッチ・ワークショップ」と合体してクルーベ・ド・ブラジル、ソニー・ミュージック主催のコンクールに出場、ソニーにその音楽性を認められた。
 その後、一年も経たないうちにグループは独立レベルの初アルバム「ファッサ・ア・コイザ・セルタ」を発売した。来年には、ソニー関連のインポートメント・レコーズの手で同アルバムが日本全国でデビューする。
 「こんな短期間でCDを手にするなんて思ってもみなかった。夢が叶いつつある。これからはブラジル人たちが責任を自覚するよう力を尽くしたい」とロベルトさん。音楽を通して、社会の考えを改め、特に、親たちに子どもの教育の重要性について、警鐘を鳴らしたいとしている。
 ロベルトさんは自らの体験をもとに、「大勢が子どもを金で買う。最も大切な『子どもを愛すること』を忘れている」と語る。現在、母親は精神を病んでいるという。「誰もが間違いい、償う権利を持っている。でも母親は不幸なことに、回復する機会がなかった」。
 ロベルトさんは、「みんなに私のような痛みを持ってもらいたくない。私から教訓を学んで欲しい。最後に、私は自分が欲していたところへ辿り着いた。私は勝利者だ」と胸を張って語っていた。